peaの植物図鑑

草や木の花や木の実(果実)、特に山野草が好きで、デジカメを持ち歩いて撮っています。2024年3月、85歳になります。

史跡めぐり~磐井の石めぐり第1回(その4)白山妙理大権現 一関市舞川字吉祥 2015年10月3日(土)

2015年10月04日 | 史跡、名所、

2015年10月3日(土)、一関市博物館主催の平成27年度「史跡めぐり~磐井の石めぐり」第1回 舞草・長島方面が、市のバスを使い、舞草史跡調査会舞草神社の協力のもと実施されました。

最初の訪問地は、「上(うえ)の山の屏風石」(一関市舞川字穴倉・佐藤家の裏側で、次は篭石(関市舞川字境)、その次は様石(ためしいし)・日光石(一関市舞川字榎木)でした。

4番目は観音山と呼ばれている所にある白山妙理大権現(一関市舞川字吉祥)でした。

舗装されている自動車道路を登って行くと、道路左側に「延喜式内儛草神社表参道黒門」の標柱が建っている表参道がありました。この表参道を登って行くと鳥居があり、舞草神社仁王門に着くそうです。 

(下2つ)私たちを乗せたバスは、バスが通れる道がある東参道入口に回ります。東参道入口は文字通りのヘアピンカーブになっていました。

(上と下)バスの車窓から見た「東参道入口」「東参道の石の鳥居」

(下)バスは、私たちを乗せて車1台が通れるだけの細い道を登って行きます。見晴らしの良い高台でバスが停まりました。「伝古屋敷跡(安永風土記)昔、舞草と言う鍛冶の住居と伝える。」と書かれた標柱が立っていました。

(下)東参道をどんどん登って行くと「舞草鍛冶遺跡」と書かれている標柱が立っていました。そして、左側に分岐する道を進んで行くと発掘調査で「鍛冶遺跡」が確認された場所「白山妙理だ大権現」という岩がありました。この道は、私たちのために舞草史跡調査会の人たちが刈り払いしてくださったそうで、歩きやすくなっていました。ありがとうございました。

(上と下)「舞草鍛冶遺跡」と書かれている標柱案内者の説明を聞く一行。

(上)「金鋳神像跡」と書かれている標柱が立っていました。

(上と下)道の傍に由緒ありそうな石が幾つもありました。

(上と下3つ)白山妙理大権現 一関市舞川字吉祥(観音山)

(上)記念撮影のためカメラを向ける一関市博物館のみなさんほか。(下)バスに戻ってきました。

 白山妙理大権現 一関市舞川字吉祥(観音山)

安永風土記にある「石倉明神社」と思われる。この上の方に鉄石山、山頂部が白山岳(しらやまだけ)で、鉱石を採った跡がある。「金鋳神」出土地もある。あるいは、名石の「正現石」かもしれない。

小名「白山ケ嶽」には、石倉明神社、白山社、山神社があり、別当はいずれも小戸屋敷庄兵衛。「白山ケ嶽」には、旧跡、「古屋敷跡」、往古舞草と申す鍛冶住居仕り候屋敷申し伝え候。いずれも何年の頃荒敗仕候哉、相知り申さず候。とある。[主催者が参加者に配ったプリントより]


史跡めぐり~磐井の石めぐり第1回(その3)様石(ためしいし)一関市舞川字榎木 2015年10月3日(土)

2015年10月04日 | 史跡、名所、

2015年10月3日(土)、一関市博物館主催の平成27年度「史跡めぐり~磐井の石めぐり」第1回 舞草・長島方面が、市のバスを使い、舞草史跡調査会舞草神社の協力のもと実施されました。

最初の訪問地は、「上(うえ)の山の屏風石」(一関市舞川字穴倉・佐藤家の裏側で、次は篭石(関市舞川字境)、その次は様石(ためしいし)・日光石(一関市舞川字榎木)でした。。説明を聞いていなかったのですが、岩の真ん中に割れ目があり、松の木と桜の木が生えていることが、名前の由来ではないかと思いました。

 様石(ためしいし)・日光石 一関市舞川字榎木 舞草鍛冶が、鍛えた刀を試した石と伝えられている。

 

(上の3つ)一関市博物館1997年(平成9)10月10日発行の「常設展示図録」より


史跡めぐり~磐井の石めぐり 第1回(その2)一関市舞川字境の篭石 2015年10月3日(土)

2015年10月04日 | 史跡、名所、

2015年10月3日(土)、一関市博物館主催の平成27年度「史跡めぐり~磐井の石めぐり」第1回 舞草・長島方面が、市のバスを使い、舞草史跡調査会舞草神社の協力のもと実施されました。

最初の訪問地は、「上(うえ)の山の屏風石」(一関市舞川字穴倉・佐藤家の裏側で、次は篭石(関市舞川字境)でした。周辺には全く似た石がなく、どこから来たのか不思議です。北上川が比較的近いので、大洪水のときにでも流されてきたのでしょうか?(説明を聞いていませんでした。)

篭石 一関市舞川字境 舞草史跡調査会による調査 大きさ:430×450㎝、高さ270㎝。


一関市舞川のキイジョウロウホトトギス(紀伊上臈杜鵑草) 2015年10月3日(土)

2015年10月04日 | 植物図鑑

2015年10月3日(土)、一関市博物館主催の平成27年度「史跡めぐり~磐井の石めぐり」第1回 舞草・長島方面が、市のバスを使い、舞草史跡調査会舞草神社の協力のもと実施されました。その最初の訪問先である「上(うえ)の山の屏風石」がある一関市舞川字穴倉の佐藤家の庭に植栽されていたキイジョウロウオトトギス(紀伊上臈杜鵑草)が、外側が鮮黄色で内側に斑点のある花を沢山咲かせていました。

キイジョウロウホトトギス(紀伊上臈杜鵑草)ユリ科 ホトトギス属 Tricyrtis macranthopsis 

紀伊半島南部に分布する耐寒性宿根草。草丈は40~60㎝になる。茎は下垂しほとんど毛がなく、茎頂と葉腋に1~2個花を付ける。花は外側が鮮黄色、内側に斑点のある長さ4㎝ほど。8~10月開花。

育て方:移動可能な鉢植えがよく、栽培はやや難しい。水はけがよく、有機質に富んだ軽い土を好む。夏は雨に当てず半日蔭の涼しい場所で。冬は鉢ごと土に埋めるとよい。[講談社発行「花を調べる花を使う四季の花色大図鑑」&栃の葉書房発行「別冊趣味の山野草・育てる調べる山野草2525種」より]