peaの植物図鑑

草や木の花や木の実(果実)、特に山野草が好きで、デジカメを持ち歩いて撮っています。2024年3月、85歳になります。

史跡めぐり~磐井の石めぐり第1回(その10)平泉町長島の疣石(いぼいし) 2015年10月3日(土)

2015年10月09日 | 植物図鑑

2015年10月3日(土)、一関市博物館主催の平成27年度「史跡めぐり~磐井の石めぐり」第1回 舞草・長島方面が、市のバスを使い、舞草史跡調査会舞草神社の協力のもと実施されました。

最初の訪問地は、「上(うえ)の山の屏風石」(一関市舞川字穴倉・佐藤家の裏側で、次は篭石(関市舞川字境)、その次は様石(ためしいし)・日光石(一関市舞川字榎木)でした。

4番目は観音山と呼ばれている所にある白山妙理大権現(一関市舞川字吉祥)でした。バスに戻ってさらに東参道 を登って行きます。車1台が通れるだけの細い道なので怖いほどでした。

儛草神社(以後「舞草神社」とも表記、一関市舞川字大平5番地)の髄身門(仁王門)の前に着きましたが、ここで駐まらず、先に「大部ケ岩」を見学しました。

「大部ケ岩」を見学してから儛草神社に戻って、拝殿をお借りして昼食休憩しました。その後、仁王門(現在は「随身門」)から移した2体の仁王像が安置されている吉祥山東城寺跡に向かい仁王像を見せていただきました。

観音山を後にして「長島(小嶋村=おじまむら・長部村=おさべむら)部地域の名石」を見に、先ず向かったのが吉祥山東松寺(平泉町長島字赤伏前[旧小嶋村]。昭和49年9月頃に観音山の開発が行われた際に観音山から三十三観音が移されたものだそうです。

次は平泉町長島字築館(つきだて)の大師堂でした。県道14号線沿いの少し高くなっている所にありました。

そして最後は、平泉町長島字生江田(なまえだ)の疣石(いぼいし)でした。予定よりかなり早く終了してしまったので、少し物足りないような感じがしました。 

疣石(いぼいし)平泉町長島字生江田(なまえだ):石の窪みに溜めた水でイボ(疣)を洗うと治ると伝えられていた。

疣石 場所:金神 大きさ:高7尺5寸、廻り3丈 疣立候石にて石に窪これあり。水溜め居り申し候所疣出候者、此の水にて洗い候えば治り候に付名づけ候事[長部村の安永風土記(「風土記御用書出」安永4年『宮城県史』所収)に記述されている名石12より]


史跡めぐり~磐井の石めぐり第1回(その9)平泉町長島の大師堂 2015年10月3日(土)

2015年10月09日 | 史跡、名所、

2015年10月3日(土)、一関市博物館主催の平成27年度「史跡めぐり~磐井の石めぐり」第1回 舞草・長島方面が、市のバスを使い、舞草史跡調査会舞草神社の協力のもと実施されました。

最初の訪問地は、「上(うえ)の山の屏風石」(一関市舞川字穴倉・佐藤家の裏側で、次は篭石(関市舞川字境)、その次は様石(ためしいし)・日光石(一関市舞川字榎木)でした。

4番目は観音山と呼ばれている所にある白山妙理大権現(一関市舞川字吉祥)でした。バスに戻ってさらに東参道 を登って行きます。車1台が通れるだけの細い道なので怖いほどでした。

儛草神社(以後「舞草神社」とも表記、一関市舞川字大平5番地)の髄身門(仁王門)の前に着きましたが、ここで駐まらず、先に「大部ケ岩」を見学しました。

「大部ケ岩」を見学してから儛草神社に戻って、拝殿をお借りして昼食休憩しました。その後、仁王門(現在は「随身門」)から移した2体の仁王像が安置されている吉祥山東城寺跡に向かい仁王像を見せていただきました。

観音山を後にして「長島(小嶋村=おじまむら・長部村=おさべむら)部地域の名石」を見に、先ず向かったのが吉祥山東松寺(平泉町長島字赤伏前[旧小嶋村]。昭和49年9月頃に観音山の開発が行われた際に観音山から三十三観音が移されたものだそうです。

次は平泉町長島字築館(つきだて)の大師堂でした。県道14号線沿いの少し高くなっている所にありました。

 大師堂 平泉町長島字月館(つきだて):長部村の安永風土記に、神社として、「大師堂」とあり、本尊、天台大師 石仏座像 御丈三尺五寸 慈覚大師御作の由申し伝え候事とある。現在は、伝教大師(最澄)像と伝えられている。石像の周囲には、巨石、板碑がある。

※天台大師は、日本に仏教が伝えられた西暦538年に生まれ法華経を学び悟りを開いた。伝教大師は天台大師の教えを学んで天台宗を開いた。[以上、主催者が配布した資料より]

http://burarioshu.exblog.jp/17920878/ [平泉町長島、月館大師堂]


史跡めぐり~磐井の石めぐり第1回(その8)平泉町長島「吉祥山東松寺」の観音 2015年10月3日(土)

2015年10月09日 | 史跡、名所、

2015年10月3日(土)、一関市博物館主催の平成27年度「史跡めぐり~磐井の石めぐり」第1回 舞草・長島方面が、市のバスを使い、舞草史跡調査会舞草神社の協力のもと実施されました。

最初の訪問地は、「上(うえ)の山の屏風石」(一関市舞川字穴倉・佐藤家の裏側で、次は篭石(関市舞川字境)、その次は様石(ためしいし)・日光石(一関市舞川字榎木)でした。

4番目は観音山と呼ばれている所にある白山妙理大権現(一関市舞川字吉祥)でした。バスに戻ってさらに東参道 を登って行きます。車1台が通れるだけの細い道なので怖いほどでした。

儛草神社(以後「舞草神社」とも表記、一関市舞川字大平5番地)の髄身門(仁王門)の前に着きましたが、ここで駐まらず、先に「大部ケ岩」を見学しました。

「大部ケ岩」を見学してから儛草神社に戻って、拝殿をお借りして昼食休憩しました。その後、仁王門(現在は「随身門」)から移した2体の仁王像が安置されている吉祥山東城寺跡に向かい仁王像を見せていただきました。

観音山を後にして「長島(小嶋村=おじまむら・長部村=おさべむら)部地域の名石」を見に、先ず向かったのが吉祥山東松寺(平泉町長島字赤伏前[旧小嶋村]。昭和49年9月頃に観音山の開発が行われた際に観音山から三十三観音が移されたものだそうです。

 

(上)長島(小嶋村=おじまむら・長部村=おさべむら)部地域の名石

(下)小嶋村の安永風土記(「風土記御用書出」安永4年『宮城県史』所収)に記述されている名石9     [以上は、主催者が配布した資料より]