peaの植物図鑑

草や木の花や木の実(果実)、特に山野草が好きで、デジカメを持ち歩いて撮っています。2024年3月、85歳になります。

史跡めぐり~磐井の石めぐり第1回(その6)儛草神社 2015年10月3日(土)

2015年10月06日 | 史跡、名所、

2015年10月3日(土)、一関市博物館主催の平成27年度「史跡めぐり~磐井の石めぐり」第1回 舞草・長島方面が、市のバスを使い、舞草史跡調査会舞草神社の協力のもと実施されました。

最初の訪問地は、「上(うえ)の山の屏風石」(一関市舞川字穴倉・佐藤家の裏側で、次は篭石(関市舞川字境)、その次は様石(ためしいし)・日光石(一関市舞川字榎木)でした。

4番目は観音山と呼ばれている所にある白山妙理大権現(一関市舞川字吉祥)でした。バスに戻ってさらに東参道 を登って行きます。車1台が通れるだけの細い道なので怖いほどでした。

儛草神社(以後「舞草神社」とも表記、一関市舞川字大平5番地)の仁王門の前に着きましたが、ここで駐まらず、先に「大部ケ岩」を見学してから戻りました。

(上)儛草神社の入口に当たる隋身門(仁王門)。このお寺は、奈良時代発祥の由緒ある神社で、平安時代には舞草鍛冶が活動していた場所とされています。神仏習合、修験道の場であったそうです。元は仁王像がこの門を警護していたそうですが、明治時代の神仏分離令により、仁王像は200mほど下のお堂に移され、隋身像に改められたとのことです。

(下)隋身門(仁王門)前で舞草史跡調査会の人たちから説明を聞く一行。(私は全然聞いていませんでした。)

(上と下)舗装された道路の所にある表参道(「参道入口・黒門」)を登ってくるとこのこの鳥居に着くようです。

(上)社殿は最上壇が本殿、次の壇が拝殿、ご神木(モミノキ:一関市指定の天然記念物)、鐘楼、石灯籠、狛犬など。その下が御神馬。最下段が髄身門

(下2つ)髄身門を守る矢大臣左大臣

(上と下2つ)髄身門から50mほど離れた少し高い場所に、比較的新しい歌碑がありました。

(上)「舞草古鍛冶発祥之地」碑。「日本刀源流之一ツ鎌倉鍛冶之始祖」と刻されています。

(上)1997年(平成9)10月10日発行「一関市博物館常設展示図録」より
 

(上)髄身門から20mほど離れた場所に芭蕉の句碑(中)などが立てられていました。

(下)隋身門の裏側の一段高い所に「御神馬」の像が奉納されていました。建物は比較的新しく奉納されたものです。

(上)御神馬の所から更に上壇にある拝殿神饌殿。(下2つ)狛犬

(上と下)奉納された石灯籠

(上)隋身門から見た鐘楼と(下)拝殿の前から見た鐘楼

(下4つ)注連縄が巻かれたモミノキ(樅の木):一関市指定天然記念物。

(下)昼食のため「神饌殿」脇の階段を上って、「拝殿」に入らせていただきました。

(上)食事をしながら宮司の駒形さんから説明を聞く一行。(下)拝殿内から見た本殿

(下)外側から見た本殿

 (上2つ)儛草神社からいただいたリーフレットから