peaの植物図鑑

草や木の花や木の実(果実)、特に山野草が好きで、デジカメを持ち歩いて撮っています。2024年3月、85歳になります。

一関市「釣山公園」のアオキ(青木)の実  2015年11月21日(土)

2015年11月27日 | 植物図鑑

(上)一関で年内に赤く熟した実を見ることはあまりありませんが、翌年の春まで残ります。木は丈夫で育てやすいとのことで、蘭梅山や市内の民家の庭などでもよく見かけます。

2015年11月21日(土)、一関市の「釣山公園」の第一駐車場の近くに植栽されているアオキ(青木)が果実を沢山付けていました。

アオキ(青木)ミズキ科 アオキ属 Aucuba japonica

 山地の林の中に生える常緑低木。赤い実と光沢のある葉が美しいので、日本だけでなく、世界各地で庭木として利用されている。高さは1~2m。葉は対生し、長さ5~18㎝の長楕円形で、縁には粗い鋸歯がある。3~4月、紫褐色の小さな花が咲く。雌雄別株。果実長さ約2㎝の楕円形で赤く熟す。果実が白色や黄色のもの、葉に白い斑が入ったものなど、多くの品種がある。分布:本州(宮城県以西)~沖縄。[山と渓谷社発行「山渓ポケット図鑑3・秋の花」より] 


及川和男著 『戊辰幻影 みゆき口伝』を読む! 2015年11月25日(水)

2015年11月25日 | 読書、本

2015年11月25日(水)、一関市在住の作家・及川和男氏(82歳)が、地元であった戊辰戦争をテーマにした歴史小説『戊辰幻影 みゆき口伝』(れんが書房新社発行、1,080円、B6サイズ、125ページ、2015年10月1日初版発行)を発行したので読んでみました。

この小説は、副題に「みゆき口伝」とあるように、著者の祖母の「みゆき」が、息子の正雄(著者の父親)と娘さとの2人に、家族や親戚らの来歴を語り聞かせる”口伝”の体裁を取っているが、登場する人は、全て実在の人物で、実名だという。著者が生後4カ月の頃、「みゆき」(祖母)は脳卒中で倒れ、63歳で亡くなっているので、著者には祖母の記憶がないことから、みゆきの話は、著者が両親(正雄、トヨ)から伝え聞いた内容がもとになっているという。

本書でみゆきは戊辰戦争(1868~1869年)に出征した夫の父親・盛(著者の曽祖父)の最期を次の通り語っている。「盛様が敵の銃弾に倒れたあと、すぐ近くにいた三番隊の小五郎様(この人は、高平小五郎で、明治維新後外務省に入り、外務次官、駐米公使となり、明治38年=1905年の日露戦争のポーツマス講和会議では全権委員として主席全権の小村寿太郎を補佐した。また、明治41年=1908年の日露戦争後の太平洋方面や清国における日米の妥協をはかった高平・ルート協定の締結に尽力した外交官である。この戦に甲3番隊の銃士として15歳で従軍し、9月15日の刈和野の激戦で右上腕を負傷した。)が、盛様を引きずって、近くの百姓家の小屋さ連れ込んで手当てして下さったけど、もう命(めい)を落としていなさった。」(三、戦のあと)。140年以上も前の戦闘が生々しく描写されているのは、口伝や史料、著者の父親が残した回想記などに取材し、作家ならではの表現力で再構成したからであろう。

続いて、夫の盛が戦死したため24歳で寡婦となり、5つと2つと生まれたばかりの乳呑児(3人)をかかえて生きなければならなかった妻あやの境遇に思いをはせる。家には盛様の母と妹がおり、一家の柱を失った痛手の中で、廃藩後の苦難の生活に耐えていかなければならなかった様子を語る。武士階級が没落して先が見えない中、商店で働いたり、家庭教師をしたりして家計を支えるみゆきさんの苦労を描写。はやり病や大水害などで家族や親族を失いながらも、幼い子供たちを懸命に育てる姿が胸をうつ。あやが育てた2男1女の名前は、もと、虎太郎、仙次郎。後に虎太郎の妻となったみゆき自身も大変な苦労をした。苦学がたたってか、虎太郎も幼い子どもたちを残して亡くなってしまうのだ。

著者の及川さんは「歴史研究書で事実を学ぶことも大事だが、そこに生きた人の喜びや悲しみ、苦しみを伝えることは文学でしかできない。一関には同じような苦難の私史が沢山あるはずなので、地元の人にぜひ読んでほしい」と延べている。[2015年10月18日(日)付「岩手日報(郷土の本棚)」&2015年11月24日付「岩手日日」より]

 

 

奥羽における戊辰戦争(ぼしんせんそう)の最後の戦争であった秋田戦争に参戦

一関藩は、慶応4年(1868)、仙台藩に従って「奥羽越列藩同盟」に加盟し、新政府との戦争に参戦した。この時期の軍事行動としては、列藩同盟成立前の同年4月、会津征討を新政府から命ぜられた本藩に従軍した白石(しろいし)出兵があるが、本格的な戦闘は8月からの「秋田戦争」従軍であった。

慶応4年(1868)8月5日の正午、須川岳(栗駒山)に集結した一関藩軍は藩境を越えて秋田藩に侵攻した。列藩同盟を脱退し新政府側に立った秋田藩を、同盟側が攻撃したのに同調しての行動であった。秋田には、南から庄内(鶴岡)・仙台、東からは仙台・一関・盛岡の各藩が侵攻した。一関藩は、庄内・仙台藩とともに、戦闘を繰り返しながら、横手・大曲を経て久保田(秋田)を目指し進軍した。9月12日からの刈和野(仙北郡西仙北町)攻防戦は、秋田来援の薩摩藩軍との交戦となり、庄内藩軍とともに奮戦し、占領・退却・再占領と、5日間にわたる激戦となった。しかし、すでに同盟の柱であった米沢藩は降伏し仙台藩も降伏が決定的という情報がもたらされ、16日、全軍一関へ撤退した。

刈和野攻防戦は激戦であっただけに、地元にも戦いをめぐる伝承が残されている。故老が祖父母から聞いた話として語り継いでいる。

雄物川を泳いで渡り、川から上がり際に首を切られた兵士が多かったという。噴水のように噴き上がる血が遠目にも鮮烈だったという。同盟軍側が撃つ小銃弾はヒョーンヒョーンと鳴って飛んできたという。施条銃から放たれた、椎の実型で底のくぼんだミニエー弾である。昭和30年代頃までは、刈和野の家中屋敷の庭からよくこの弾が掘り出されたという。このミニエー弾の実物は岩手県立博物館に、模造品が一関市博物館にそれぞれ展示されている。

一関藩では、記録上、265名(銃卒・軍夫含めず)が従軍し、84名が戦死、33名が負傷した。戦死者中50名が銃卒(各村から従軍した百姓身分の兵)であった。

明治22年(1889)に至り、刈和野での戦死者を仮埋葬した同所の本念寺に、全戦死者84名の姓名を刻した墓碑が建立された。また、墓の建立に先立ち、明治13年(1880)には一関の祥雲寺境内に戦死者の招魂碑が建立されている。いずれも多くの人々の義捐金(ぎえんきん)によって建てられたものであった。[「一関市博物館常設展示図録」1997(平成9)年10月10日発行&一関市博物館発行「田村家文書を読む」より]

 (上左)祥雲寺境内。


一関市田村町のヒマラヤトキワサンザシ  2015年11月21日(土)

2015年11月25日 | 植物図鑑

2015年11月21日(土)、一関市田村町の中街通りにある日本キリスト教団一関教会に隣接してる民家の門の傍に植栽されているヒマラヤトキワサンザシが、真紅に色づいた果実を枝全体にびっしりと付けていました。

http://www.city.ichinoseki.iwate.jp/index.cfm/18,8319,132,159,html [国登録文化財:伝統的な宗教建築が評価 日本基督教団一関教会]

ヒマラヤトキワサンザシ バラ科 ピラカンサ(トキワサンザシ)属 Pyracantha crenulata

 ヒマラヤ原産の常緑低木。花も実も美しいので、庭や生け垣などによく植えられている。カザンデマリともいう。高さは2~3mになり、枝には刺がある。葉は互生し、長さ2~5㎝の長楕円形~披針形で表面は光沢がある。花期は5~6月。直径1㎝ほどの白い花が枝いっぱいに群がって咲く。果実は直径約8㎜の球形で光沢があり、橙赤色または真紅色に熟す。一般にはヒマラヤトキワサンザシ、タチバナモドキ、トキワサンザシなどをまとめて、ピラカンサと呼ぶことが多い。[山と渓谷社発行「山渓ポケット図鑑3・秋の花」より]


一関市田村町のヤツデ(八手)の花 2015年11月21日(土)

2015年11月24日 | 植物図鑑

http://www.ichitabi.jp/spot/data.php?no=43 [旧沼田家武家住宅:いちのせき観光NAVI]

2015年11月21日(土)、一関市田村町「旧沼田家武家住宅」の斜め向かい側にある民家の門口に植栽されているヤツデ(八手)が、白い花を沢山咲かせていました。

ヤツデ(八手)ウコギ科 ヤツデ属 Fatsia japonica

 暖地の海岸に近い林の中に生える常緑低木。庭木としても広く利用されている。高さは3~5mになる。葉は互生し、長さも幅も20~40㎝で、掌状に7~9つに切れ込み、厚くて光沢がある。花期11~12月。白い小さな花がボール状に集まった散形花序を多数つける。散形花序は直径2~3㎝。花弁は5個。果実は直径約5㎜の球形で、翌年の春に黒く熟す。葉に斑が入った園芸品種もある。分布:本州(関東地方南部以西)~沖縄。[山と渓谷社発行「山渓ポケット図鑑3・秋の花」より]


一関市東山町長坂のイソギク(磯菊) 2015年11月13日(金)

2015年11月24日 | 植物図鑑

2015年11月13日(金)、一関市東山町長坂の「柴宿団地」と呼ばれている住宅街にある民家の軒下に植栽されているイソギク(磯菊)が、花を沢山咲かせていました。この菊は、葉が緑葉に銀色(白)に縁取られ、舌状花のない筒状花だけの花を咲かせる特徴があります。

イソギク(磯菊)キク科 キク属 Chrysanthemum pacificum

 海岸の崖などに生える多年草。頭花は小さく、筒状花だけでできているが、色が鮮やかで美しく、古くから栽培されている。高さは20~40㎝。葉は密に互生し、長さ4~8㎝、幅1.5~2.5㎝の倒披針形で、上半部はやや浅く切れ込む。裏面は銀白色の毛に覆われ、表面の縁も白い。花期は10~12月。頭花は直径5㎜ほどで、茎の先に10cm ほどの花序をつくり、びっしりと集まってつく。分布:本州(千葉県~静岡県、伊豆諸島)[山と渓谷社発行「山渓ポケット図鑑3・秋の花」より]