
今日はかなり重い記事を、なるべく重くならないように書きます。
先日、facebook で、KOHさん(=仮名)が、ご高齢の貧乏ミュージシャンの「引きこもり」についての記事を書いていらっしゃいました。
私は、直接は存じませんが、その方は、貧乏なので、一般賃貸住宅から公営住宅の5階に引っ越したけれど、
当然エレベーターがないので、足腰も弱くなった高齢の身には階段の上り下りも億劫で引きこもり、
周辺の誰とも音信不通になっていたところを、KOHさんが心配して、公営住宅を一棟一棟捜し、(棟や部屋番号はご存じなかった)
KOHさんご自身も階段に辟易して諦めかけたところ、運良く発見して、滞納の電気代など支払い、ミュージシャンは一命を取り留めた…という話。
そして、行政は、郊外に、こんな高齢者の引きこもり住宅を作ってどうすんじゃ~!!と、、
私の周囲で、このところで、お独りで亡くなった音楽関係者の方が複数います。
私は、その方々とは、一緒に音楽やったり、語ったり、ご病気の折には差し入れを持ってお見舞いにいったり…などなど、
それぞれに、それなりに音楽的にも、プライベートでも、お付き合いありました。
音楽の繋がりって…というか、友達って誰でも、そんなに頻繁に連絡を取ることはなく、日常的には殆ど忘れていて、
それでも会えば、それまでの空白の時間が一気に埋まってしまうものだと思います。
私は、井戸端的なお付き合いは苦手なので、余計にそうなってしまいます。
でも、次に会うことなく、彼らはひとりで旅立ってしまった…
この春、上京した折、東京の音楽パートナー、カッシーと過ごした時間の中で、
カッシーとずっと会ってなかった間の他愛もないことを話すんだけど、
私は、自分の口で「孤独死」とはいいたくない、このことについて、結構ショックだったので、彼に話しました。
そしたら、カッシーは
「そんなの、誰でもみんなそうだよ。」
と、当たり前のようにいうのです。
そうか。
そうだ。
フラミンゴの男子リズムセクションは、全員独身。子どもナシ。
きっとカッシーの周囲には、そういうミュージシャン、たくさんいるんだろうな。
そして、カッシー自身も、いずれ自分のときが来ることも、承知なんだなぁ、、、
ミュージシャンだけじゃなく、今、独身で今後家族をつくって、子孫が増える見込みのない人たちはものすごくたくさんいる。
「この状況で子どもを産んでも、子どもたちの未来になんの明るいことがある?」という閉塞感、貧富の差の激化、原発問題…などなどで、「産まない」選択をしている人たち、
自分(&パートナー)の人生を精一杯生きたい、或いは楽しみたい。子どもは要らない。という人。
家族に看取られず、旅立つ人は、これから増え続ける。
…でも独り?
お友達がいるじゃないの。
「看取り」はお互いにはできない。
一方通行なんだけれど、連鎖していけばいい。
いつ、どうなるかわからないから、約束は今からはできない。
でも、「友人の看取り」ということが、しっかりとした鎖で連なっていくような、人と人の絆を構築していくことは、できるんじゃないかなあ…
私は3年前に、知り合って1年に満たない、ヴォーカルの生徒さん(高校の先輩でもある)をことの成り行きだったけど、覚悟をきめて見送ることになった壮絶な日々、
ただひとりのご家族のお母さまは、施設に入所していて、ご本人の命が風前の灯となっているのに、私は家族ではないからということで、
本当に旅立たれる数時間前まで、病状の説明をしていただけませんでした。
これからの時代、まず、こんなところから変えていかないと。
KOHさんの記事はこのように締めくくられていました。
「世の中で、たった一人でいい。
お前がいたから…と言ってもらえると
それで僕の人生は十分に意味のあるものになるのです。」
さらに私のコメントに対して
「たかみさん、だからね、みんなで寄り添って、まちなかに集積して暮らしましょ。
きっと、面白いよ!
これがコンパクトシティ構想。」と…
ソレ、私が代議士事務所勤務の頃、某党の部会でめっちゃやってた。もう20年近く前だよ。
その時は、まだ若かった私は、「素敵! ここから街づくり、都市づくりが始まるのか…」と、感動した。
でも、政治では変えられなかった。
運転免許を持たない子どもや学生や、免許を手離した高齢者が、買い物や、コミセンや、図書館や、お風呂に歩いて行けるのが健全な町だと思う。
車がなければ行けないようなところに、映画館や図書館や、ショッピングモールをつくって、
道路ばかりが新しくできて、公共交通は置き去りにされているのがわが故郷、、、
KOHさん、これからも益々、頑張ってください、わがふるさとのために!
さ~~あ、これから歩いて足腰を鍛えなくては!!
…ってことで(それだけじゃないけど)
私は、近々、靴を買うことにしました。
登山用の靴です。
私は、高校のとき、マジで山岳部に入りたかった。
でも、顧問の先生のひとことで「こりゃ無理だ」と。
「山では水はとても貴重なので、食事に使う皿は乾いたペーパーで拭き取る。そして使い回す」
当時潔癖症だった私は、即あきらめました。
でも、今はそんなの全然OK。
このたび、山デビューをもくろんでいます。やっとよき先達が見つかったので♪
そこには、山ならではの壮大な景観はもちろんのこと、ひっそりと咲く野草や、楽しそうに舞い遊ぶ野鳥たちとの出会いがあるんだなあ…と、ときめきまくります。
ここで、野草は雑草。
オカリナが野に吹き渡る風…のつもりで作りました。作詞は グラフィックデザイナー藤本誠氏。
「だれっちゃ知らんとこで散る」野草…
というところに、改めてフォーカスしてしまいます。
でも、もし…本当に誰っちゃ知らんとこで旅立ったとしても、
その瞬間に神さまの手に抱かれる…と私は信じています。
死の苦しみは、天国に生まれる前の苦しみ。
私たちが、この世界に生まれるときに、母の産道をもがき苦しみながら通り抜けたように、私たちの誰も、その苦しみを覚えていないように、
天国に生まれた瞬間にすべての苦しみや悲しみは、もう思い出すこともできなくなるのだろうなと、、、
そこから先のことは、正直なところ、なにもわからないので、考えません。