
久々の投稿です。
あまりにも濃くて熱い夏でありました。
さあ、遡って書くぞ~~~!! といっても、なんだかすべて遠い出来事のように感じてしまう 今はもう秋…誰もいない海、、、
まずは、我が母校の音楽部同窓会について。
遡って、去年の秋、同級生のAYAちゃんから、「OB合唱団を作って演奏したい」という話が持ち上がりました。
もちろん「うん、大賛成。協力するよ」といったものの、土日も休みがない状況で、私にできることはほとんどありませんでした。
まずは、年初に、プレ同窓会を行い、そこで世代を超えたOBが集まって、現役時代の愛唱歌などを歌い、有志合唱団を立ち上げて、8月に演奏の機会を設ける
そんな中で、紆余曲折、AYAちゃんも松山から高松に練習やら打ち合わせに通う日々、
たくさんの困難を乗り越えて、母校の音楽科「ムジカホール」にて、OB有志による「Wings & Seagulls」のファースト・コンサートが実現しました。
各パート、プロのソリストも参加しての、芸術性のとても高い素晴らしい演奏が実現しました。
年頭の、とても楽しくて感動的だった「プレ同窓会」の記事も、書きそびれました。
…というのも、
これもまた、あまりにも濃くて、素晴らしい時間だったのでした。
さて、この素晴らしいイベントを、どうやってまとめようかと思っているうちに、8月のこのたびの本番に向けての濃い議論が炸裂し、
経緯を報告する間もなく、どんどん話は次へ次へと進んでいったのでありました。
以前から拙ブログをお読み下さっている方はご存じと思いますが、
私は、高校時代は「暗黒時代」だったのでした。
蓋をして、封印して、ひっそり心の隅にに置いて、あまり思い出すことのないように。
だけど、もうそれから40年も経っているのです。
「ヤだな」っていう感情はもうなくなっています。
音楽部のOBの方たちと、憧れの先輩の指揮で再び同じステージで歌える歓び♪
合唱について、作曲者の音楽について、先輩後輩たちと語りあえる歓び♪
クラシックの「声楽」からはもう長い長い間遠ざかっているので、まずは「ソプラノ」の声を取り戻すところから…と、一応自分なりに努力はしましたが、
そんなに簡単に取り戻せるものではなく、ブレスコントロールが困難で、とっても苦労しました。
それでも「合唱」は楽しかった。
「LIVE」とは全く違う、懐かしくて、新鮮で、感動の世界でした。
ぜひお聴きください。
このステージの中で、私はこの曲がいちばん苦手でしたが、いちばん素晴らしい演奏だったと思います。
この曲は、作詞家の三好達治氏が、戦争が終わって、戦時中には姿を見せなかった鴎たちが浜辺に戻ってきて空を舞っている姿を見て、
鴎たちを自由の象徴として書かれた、一種のプロテストソングだそうです。
そのような、詞の書かれた経緯を、私たちは、本番のときには知りませんでした。
私たちは、それぞれ自分なりにこの詞を解釈して、ことばを「うた」として、指揮者の描く音楽の表現者となります。
少し前に上げた、「ハナミズキ」の記事にも書きましたが、
素晴らしい「詞」や音楽とは、その創られた経緯を知らなくても、ことばや音楽自体が力強い命をもっていて、それ自身が迫り来るものがあります。
この歌も、「魂の開放」を謳歌している…と私は感じましたし、
歌い手も、聴き手も、「創られた経緯」に捉われずに自由になればいいのではと私は思います。
賛否両論あるでしょうけど。
さて、やっとここからが本題。(毎度長くてすんまそん)
演奏会のあとは場所を移しての同窓会。
私は一高暗黒時代と、ず~~っとずっと申してきましたが、これをもちまして、
暗黒時代、返上いたします。
暗黒時代についてはこちら
同窓会の席上で、かわいい?男子後輩2人とお話しさせていただく機会アリ、
彼らが、私の卒業演奏のことを覚えてくださっていた( ̄□ ̄;)!!
私の演奏がすごく印象的だった…と、、、
私は、長い長い長~~~いトンネルを抜け出して、卒演のときには、やっとやっと、四面楚歌の先生方やお客さまの前で、常日頃のレッスンの時と同じ声が出るようになったのです。
そのときの曲は、ベッリーニ「ロミオとジュリエット」のアリアなのですが、フツ~、高校生が本番では歌わない。
しかし、今思えば、私の師匠は、見栄もあり、「どうじゃ~TAKAMIは、こんなん歌える」と、周囲の人たちに誇示したかったのだと思います。
それも大変プレッシャーだったのですが、
私は、それを歌い終えて、ひたすらホッとして、ああよかった、最後までキッチリ歌えた…と、すごく嬉しかったのを、ものすごくよく覚えています。
そのときのことを、部活の後輩が今でも覚えてくれていて、「あの歌は感動しました」とかってどおよ!?
もぉ~~~ あまりにも嬉しすぎて、
私は高校の部活においても、芸専クラスにおいても、影がうっっっっすぅ~~く、誰も私のことを覚えてくれていないに決まってると思っていましたし、
部活にはなるべく思いいれを持たないようにしつつ、ひたすら声楽のレッスンに注力してきたあの時代のことを、
認めて、憶えてくださっていた人たちがいることに感激して、本当に本当に嬉しかった!
実際に、当時の先生方は私のことを全く覚えていらっしゃいません。
にこにこと会釈をされる、まるで認知症の方とのお付き合いのようで、
だからこそ、私もわだかまりも全くなく、当時の懐かしい先生として、受け容れることができるのだなあ…と、、、
ありがとね、村上くん、カメキチくん♪♪♪
…とはいっても、カメキチくんという人はTAKAMIさんはモーツァルトを歌っていたのでは…とかっていうから、人違いの可能性はあるのですけどね(^_^;)
そしてAYAちゃんも、私の当時のささやかな音楽的足跡、
「TAKAMIはこんなことやってた」と何十年経っても憶えていてくれたことが、本当に嬉しい。
ハレルヤ!!!
私個人的には、そんな意味で、本当に本当に、最高に幸せな一高音楽部OB同窓会でありました。
個人ブログなので、自分のことを存分に語らせていただきました。