カテゴリー「キリスト教のこと」については、クリスチャンでない方々に向かって書いています。
私自身が、見た目もやってることも、周囲から見たら全然クリスチャン的ではありません。
クリスチャンとは一般的に、地味で、真面目で、敬虔な人…と世間からは思われているらしい。
私は全然そういう人には見えない模様…ってか、ハイその通り。
「なんでTAKAMIがクリスチャンやってるんだ」と思われていると思います。
その答えは…
私はこの世界は神さまがつくった…と、子供のころから感じていました。
そして、思春期、いろんな宗教を齧ったり、足をつっこんだりしながら、その神さまとは、キリスト教で説いているところの神だ…と思い至ったからです。以上。
またまた讃美歌を作りました。
日曜日の「礼拝」というのは、神さまを讃える時間。神さまからのメッセージを受け止める時間。
讃美歌を歌って、お祈りをして、聖書を朗読して、牧師がメッセージ(説教)をして、またお祈り、讃美歌…
奏楽者は、その日のメッセージのテーマに沿って、奏楽を組み立てるという役割があります。
私は礼拝を形式的な、義務…のようなものにしたくないのだ。
形式的となると、私だって「おサボリ」したくなる。形式的、義務的と感じる礼拝を、どんだけおサボリしてきたことか。
でも、奏楽者として礼拝にかかわると、音楽で神さまを讃えることは素晴らしい…と感じる。
私、実は正直なところ、宗教よりも音楽のほうが自在だと感じています。
当日の牧師メッセージ(説教…これが牧師を通しての神からのメッセージということ)は、聖書のどこの部分から語るかは、数週間前には決まっているので、
その聖書箇所を開いて、なんかその周辺に作れそうな聖句はないかなあ…と、、、
そしたら、詩のような聖句がちょうどあった。
おおぉぉ、これはイケそうだ、、
「詩のような」とはいっても、冒頭のこの聖句は、ホントは「伝令」
偶像を拝む国の王が、大臣でありながら異教徒のダニエル、完璧で、周囲の大臣が嫉妬して陥れようとしているダニエルが崇めるまことの神に感服して、
「この神を讃えよ」というような命令。
私は旧約聖書がとっても好きなのです。
旧約聖書の登場人物は、もぉ~~むちゃくちゃなのだ。罪を犯しまくる。殺人も姦淫も犯す。嘘もつく。
だけど、信仰だけはある。
「むちゃくちゃだけど信仰はある」
それは私だへへへへ。酒は飲むが信仰はある。
聖書の好きなところは、何度も読み返します。
それは、他の本やDVDも同じ。三国志とかも同じ。
最近では「蜜蜂と遠雷」はもう、すべての登場人物が好き。
読み終わっても、また何度でも会いたくなる。
聖書は最初読んだ頃は、モノクロームの世界だったもの。きっと誰でもそうだと思います。
それが、回数を重ねていくごとに、
そして講解メッセージや解説書なども参考に聴いたり読んだりしていくうちに、
聖書がモノトーンから、フルカラーでサラウンドの世界に進化していくのです。
そして、好きな登場人物に次々と出会える喜び。
「すごく好き」「わりと好き」「憎めない」
ヤなヤツだけど自分の中にもこういうところがあるよなーと思うと、すべて「憎めない」に分類されていく。
いやまだ全部じゃないのですけど。旧約聖書の歴史書のところあたりだけですけど、、、
でも、そのうちこれから、すべてがフルカラーサラウンドに進化していくことでしょう。
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