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喧嘩したフラミンゴ某メンバー(それはDs.)とは、和解済です。
「感受性がない」話のときに、私が即座に「それは違う」といいたかったのは、フラミンゴのメンバーのそれぞれ、周波数の違う感受性と、メンバーの調和。
Ds.はひとの心の奥底を感じる心をもっている。
経験や、アタマの回転の良さで相手の気持ちを推測したり、分類、仕分けしたりするのと違う。
だから、どんなバンドでも、メンバーが求めることを一生懸命に音にしようとするところが、凄い。時に思いつめるほど。
パーカッショニストとして、キューバに勉強にいったり、キューバ音楽関係の人たちと関わりながら過ごしてきた時代の話を聞いていると、私には、この人は「心の皮膜」というものがないのだろうか…と思うほど。
「皮膜がない」ってことは、直接ひりひりと感じて、さぞかしいろんなところでいろんな痛みも味わってきたんだろうなあ…
心の皮の分厚い私はDs.に「TAKAMIさんには、鈍感力がある」と言われてます。
なんも反論できん(-_-;)
いや、「鈍感力」って、素晴しいパワーらしいよ… 読んでないけど。
以下、B(ベース)G(ギター)…と、それぞれに書き始めるとめっちゃ長くなるので、これはまたの機会に。…てか、今までもたくさん書いてきたよね。
生活のなかに音楽を持ち込んで、自分のできる範囲で納得のいく演奏をしたいという思いは、共通のものだと思います。
「私は生活とともにある音楽」を、これからも続けていこうとしてます。
生活から切り離したところには行けないし、いきたくないのです。
自分で作るうたも、自分自身の生活の中から拾い集めたものを繋ぎ合わせて紡いでいるのだし、等身大、自然体、そのまますぅ~~っと人にうけいれて貰えるような、そうそう、てるてるちゃんのクッキーや、うさぎさんのパンやケーキ、atatachanの野菜と同じなんだよ。
私の音楽は、ドレスアップして特別な記念日に行くレストランの料理と違う。
だからといって、かるぅ~く思いつきだけでフンフン♪と鼻歌混じりに作れるものとも違う。
もちろんレベルの高低とも違う。
(てるてるちゃんは、あのやさしいクッキーを、素材を厳選し、お正月のお休み3日間に、精神集中して、平均睡眠時間3時間で作ったとおっしゃってました。匠の技です。)
私は、最晩年、高齢者施設の談話室で車椅子で童謡をうたう数十年後の自分の姿
など思い描きながら「生涯現役」などと豪語??してるワケですが、そこへ至る自分の道のりに重なり合ってみえるシーンをあちこちで見つけてきました。
「劇団グスタフ」の、のどかな芝居小屋での公演
炉辺で聴く鍋のぐつぐつや、外の子供たちの声と融けあう尺八の演奏
「蓮の露」の貞心尼と良寛さまの歌詠みの時間
じーちゃんのお葬式のときの、田舎家での奏楽付きのお経
…などなど、共通しているのは、「生活とともにあるアート」だと思います。
ドレスアップして、オペラを観にいく、フレンチのディナーにいく
巨匠の大回顧展にいく
というのは、コレはコレで、「切り取った時間」として、とっても意義深いです。
非日常の時間や、非日常のテンションが人にもたらすものはとてつもないと思うけれど、自分の役割は違うと思う。
ですが、レスは、ぜんぶ終わってから、まとめて書かせていただこうと思います。悪しからずね♪
どーなってしまうのだろうと、勝手に心配してしまいましたよ
でも、良かったです
ホッとしました
読み進めていて、私の名前がふいに出てきて、
面食らいました
内容には、ハッキリ言って照れました
ただの趣味で作っているものを、そんな風に真剣に
受け止めてくださって・・・
普段からの自分のちゃらんぽらんさが、とっても
恥ずかしいわ
TAKAMI様は誠実な方ですね~
そういった面から見ても、TAKAMI様は、私より
はるかに感受性の強い方だと思います
>高齢者施設の談話室で車椅子に座って童謡を歌ってる<・・・・らしいわぁ。
というか、胸に迫ってくるシーンです。
そういうシーンが思い描けるというのはTAKAMIさんがそういう人生を送ってきたからに他ならず、
私なんてこういう老後を送りたいという理想像みたいなものはあってもとても現実には無理だろうと。
生き方の問題ですね。
TAKAMIさんのように一本芯のある人と、私のように自分の心棒を持たずフラフラ右に左に揺れてきた人間との差ですね。
『鈍感力』かぁ、これは私もありそう。
それより以前読んだ『老人力』、これはしっかりついてきています。実感出来ます。
肩の力が抜けてなかなかいいもんです。
正しく老人力がつけばもう怖いものなしだよ(笑)。
話が変にそれちゃってごめんね。
ギターを弾いているときは
余計なことを 忘れるべきだということです
それも完全に忘れることです
感じる能力を邪魔しているのは
明日の心配です
明日の心配をすると
感じるべきことも タコができたような感じで
感じることができません
それは 悪い意味での「心の皮膜」ではないでしょうか
「明日は明日の風が吹く」
座禅を通して知ったことです
(注)ぼくはギタープレイヤーではありません
ギターはほんの例です
ぼくも 演歌でよく使うコードを5つくらい知っていますが
それが ぼくのギターのすべてです
ご心配おかけしました
フラミンゴのメンバーとは、誰と喧嘩しても決裂したままってことはあり得ないので、ご安心ください(*^_^*)
てるてるちゃんのあのクッキーは、れっきとした「作品」でしたよ。
ほんとに感動しました。
だってさー、クッキーに自然の風…とか感じるのよ。
てるてるちゃんのブログを読んでいてもお客様に対する誠意や、喜んでもらいたい気持ち、すごく伝わってきます。
恥ずかしいのは私のほうよ~
♪ikehirochan2さん
もうちょっとマシな最晩年だったらいいんですけど、
私にはこの程度だろう…と(^_^;)
胸に迫ってくるってことは、なんだか現実味があるってことですよね?
私ha、ブエノスアイレスでタンゴを聴きながら息を引き取るなんていうのは絶対無理だと思うので、自分にとって実現可能な範囲のところを考えているだけのことなのです。もうそろそろそんなことも視野にいれるようになってしまったってことです
…(T_T)
そうそう、「老人力」ってのもありましたね。
「老人力」と「鈍感力」。これからは、これをうま~く使いこなして生きていかなくっちゃ!
♪hawkさん
またしても、目から鱗が落ちるようなコメントを
ありがとうございます。
ほんとにhawkさんのコメントにはいろいろと考えさせられることが多いです。
「生活とともにある音楽」
とはいっても、創作中や演奏中に、あしたのメシのことは考えられないし、
あしたのことを考えると、創作もできないしピアノも弾けません。
じゃーやっぱり「生活とともに」は無理なんじゃん??
むしろ生活から完全に切り離したところにいってしまうことがアートの意義?
いや、やっぱり違うよ
…と、あちこち壁にぶちあたりながらも、いろんなことを改めて考える機会になってよかったと思います。
hawkさんの俳句の心は、座禅と通じているのですね。