ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

インゲン豆

2007年04月03日 | 食べ物


この前「トリップ」改め「トリッパ」の煮込みを作っ
た時、インゲン豆を求めて彷徨った(その時書いたが)。
大手スーパーを当たり、ローカルスーパーも当たり、一
時は絶望的な気持ちになったものだ(嘘です)。
そしてとうとう見つけた時は、砂漠のオアシスの如く
輝いていた、そのインゲン豆は(大袈裟)。
とこんな経緯があり、田舎でも、インゲン豆の需要が
なくなりつつあるのかという結論に達したのだが、そ
の後、新たな情報が続々もたらされた。

あそこのスーパー(ローカル)にはあるよとか、あそ
この薬チェーン店にも置いてあるよ(何故かあるのだ)
とか、置いてあるところがまだ結構あることが判明し
た。
どうやら、置いてないところばかりを選んで(結果的
に)彷徨ったというのが、今回の真相のようだ。
そして極めつけは、畑のインゲンがあるよという事実。
家の畑(兄作)の自家製のインゲン豆があると言うで
はないか。
種用にとっておいたものの残りということだ。
なんだなんだ、自家製の豆があったのか。
「灯台下暗し」という言葉がふつふつと湧いてきた。
自家製のものなら出自は明らかだし、安全だし、言う
こと無しだ。
一体、あの時彷徨ったのはなんだったのだろうか。
と、再び当時のことを思い出してしまった。
情報収集能力欠如か、これも。

以前だったら、「乾物屋」に行けば済むことだったの
だが、今やその「乾物屋」そのものがなくなりつつあ
る。
専門店の良さは、間違いなくあるのだが、食生活の画
一化とインスタント食品の普及で、手間のかかる食材
を扱う店の需要はどんどんなくなり、手広く扱うスー
パー(決して専門的ではない)と、最大公約数的もの
を用意する「コンビニ」しか生き残れない世の中になっ
てしまった。
そして、専門店の代わりはインターネット通販(これ
に関してはかなりお世話になっている)。
そうなると、街の風景も画一化され、どこも同じよう
な顔となる。
その後、撤退した(こうなるのが多い)スーパーの建
物は廃墟となり、廃業したコンビニ(これも多い)は
落書きされ、辺りは荒廃ムードに包まれる。
そんな場所はすでに散見される。
つまり、それらの店が出来てその明かりで周辺が不自
然に明るくなっても、明るい未来は想像できないのだ。
インゲン豆から未来が見えた、か?
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