ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

景観条例

2007年04月17日 | Weblog
京都の景観条例が、より厳しく変わるらしい。
今までのが緩すぎたのだから、当たり前という気がす
るが、案の定、反対運動(と言えるほどの規模かどう
かは判らないが)が起こった。
理由は、説明が不十分、或いは性急過ぎるとかそんな
ものだ。
しかし、本当の理由ははっきりしている。
損するからだ。

反対している人間の殆どは、不動産業者と、すでに規
制の対象に該当するマンションに住んでいる住人だ。
不動産業者は、直接商売に関わるし、住んでる人間は、
マンションの資産価値が下がるという懸念と、建て替
えるときに、上階を削らなくてはならないという状況
が不可避となる。
不運ではある。
しかし、その言い分を聞いていると、ちょっとどうな
んだと思う。
その言い分というのはこうだ。
「折角上階を買って良い眺めを手に入れたのに、これ
以上低くなったら見ることが出来なくなる」
大体このような意見だった。
「これは市の横暴である」
こんなことも言っていた。
確かに、ご尤もである。

が、この住人には大事な視点が欠けている。
それは、自分達の住んでいる快適な高層マンションに
よって、視界が遮られた人たちがいるということ。
こういう事実に対する想像力が欠如しているのだ。
法的にはなんら問題ないから、堂々と主張できる。
言ってる本人も、自分に正当性があるから何の疑いも
持ってないし、見る限り特別自分勝手な人間にも見え
ないし、マンションを買えるだけの財力もあるから、
それなりの企業に勤めていた、まあ成功したひとだと
思う。
しかし、こういう日本の今を代表する普通の、しかも
知的レベルもそこそこありそうな人が、当たり前のよ
うに、自分の利益中心の発想(無意識的に)からきて
いる意見を言ってしまう世の中ってのは、どうなんだ
ろう。

尤もらしい意見が、実は、自分の利益を確保したいが
ためであった、などというのは、極普通に見受けられ
ることだ。
経済原理が人の思考まで支配している世の中である、
これに関しては疑いの余地は無い。
そして、その先には、荒涼とした干からびた世界、荒
野が広がっている。
そんな荒涼とした世界には、多分、「夕日のガンマン」
もいなければ「荒野の用心棒」もいない(ひょっとした
ら「エルトポ」はいるかもしれないが)。
干からびた胎児(byサティ)が蠢いてるだけだ。

コメント (2)