ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

オリンピック

2007年04月10日 | Weblog
石原再選で、オリンピック開催ではなく、招致は、本
格化するのだろうか(実際、開催地になるかどうかは
置いといて)。
再選を一番喜んでいるのは、多分マスコミ、主にテレビ
ではないだろうか。
スポーツ至上主義が、今やテレビの基本思想だから。
電通辺りが、その経済波及効果が何十億だか何百億と
煽ることも目に見えている。
関係者は、お祭りムードで一気に押したいところだろ
う。

気になるのは、たまにはこういうもので夢を見ようじゃ
ないかという石原発言。
そもそもオリンピックってそんなに夢のようなことか?
取り敢えず、出場者にとってはそうであろう。
しかし、途上国でもない日本で、未だに、素朴にオリ
ンピックを夢のような出来事と捉える人はそんなに多
くいるのだろうか。
独裁国家が、現実を見ないようにスポーツに目を向け
させる図式に近いものを感じる、と言ったら大袈裟か?

確かに、前回の「東京オリンピック」は「夢」などと
いう言葉が違和感無く受け入れられた時代、状況だっ
た。
素朴な時代だったのだ。
郷愁と共に、それぞれがあのシーンを思い出すことが
出来る。
あのシーンと言うのは、女子バレーボールの優勝シーン
であったり、柔道無差別(重量級?)でヘーシンクに
負けたシーンとか、マラソン円谷の最後に抜かれるシ
ーンとか、それぞれが印象的なシーンを直ぐに思い出
すことが出来る。
多分、こういう部分、つまり思い出を共有するという
ことが、同じ日本人としてすばらしいことなのだ、と
主張したいのだろう、石原慎太郎は。
しかし、今やスポーツ界は、当時と違い市場原理、金
の力で動いている(という部分がずっと大きくなった)。
「夢」という言葉にはそぐわない要素が、あまりに見
えすぎている。
情報が多い分、そう単純には信じられなくなっている
のが今のスポーツ界なのだ。
多分、当時の「東京オリンピック」などでも、特に共
産圏の国では、相当薬に頼ったダーティーな側面はあ
ったのだろうが、何せ情報がなく、見てるほうも素朴
だったから、夢で全てを覆いつくせたということだろ
う。

まあ、そんなひねくれた見方をせず、「純粋」なプレ
ーを楽しめば良いじゃないか、と必ず大人的なことを
言う人がいるが、それが出来たら苦労はしない。
現に違うだろうということなのだが、見るより自分で
やる、これからのスポーツのあるべき姿はこれだろう
と思うのである。


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