ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

古道具

2007年04月16日 | Weblog
「古道具」というと、如何にも古くさいイメージだが、
これを「アンティーク雑貨」と言い換えるだけで、一
気にお洒落なイメージとなる。
実際のところ、アンティークというよりはお古、或い
はジャンク、ガラクタなのだが、ネーミング一つでこ
うも変わってしまうのだ。
以前は、全く興味が無い対象だったのだが、これも年
のせいか、捨てる対象がいつしか集めるまではいかな
いが、欲する対象になった。
同じ、例えば鉛筆削りでも、モダンな最新のものより
(鉛筆削りそのもがないか今は)、六七十年代のレト
ロなものの方が魅力的になってきた。
基本的に使える道具がほしいので、完全に壊れたジャ
ンクはいらないが、普段使うものだったら、そういう
古い味のあるものの方がほしい。
昔だったら、絶対捨ててたものだ。

例えば「Tin缶」といったブリキの缶。
お菓子の缶などで昔はポピュラーだった。
日本製にもたまにデザイン的に良いものもあるが、圧
倒的にヨーロッパのものが良い。
人によっては単なるごみが、立派な商品となってしま
うのだ。
つまり、そういう古くなった缶一つとっても、同じも
のは二つとないという、その一つ一つの歴史を刻んだ
顔が魅力的なのだ。
単なる錆、汚れとも言えるのだが、それが好きな人に
は「味」というものになる。
そして、唯一であるというのも、魅力の一つである。

そうやって考えると、アンティークの世界というのは、
世の中の価値というものが、絶対ではないということ
を分かり易く教えてくれるところだ。
ある人にとってはゼロ円だが、ある人にとっては何万
円。
つまり、物の値段の本質があからさまに出るのがアン
ティークの世界なのだ。
今世の中に普通に出回ってる新商品だって、当たり前
のように「良いお値段が」付けられているが、ほしい
人がいなければ価値はどんどん下がる。
決して絶対的に価値のあるものではない。
単に市場原理に基づいて決まってるに過ぎないのだ。
基本的に、同じような価値観を持った人が多ければ、
その人達用の商品は価値がある、と思われてるだけに
過ぎないのだ。

結局、その「もの」を持ってる人のセンス、価値観が
表れ、持ってる本人も、無意識的にしろ自己表現をし
ている、それが即ち、ものの哀れというものなのだ、
ということではなく、物と関わる世界の実相なのでは
ないだろうか(ちょっと尤もらしくまとめてみました)。
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