ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

腰痛

2008年01月11日 | Weblog


痛くならない体勢がなかなか見つからず、結局、昨日
は良く寝られなかった。
埋葬にある屈曲体勢も(軽度の時はこれが楽なのだが)、
暫くすると腰の辺にしびれのようなものを感じ向きを
変えざる得なくなり、変えるとその都度痛みが走る。
全く腰痛というのは厄介である。
こんな時は「バンテリン」も効かないし。
部屋のでかいテレビは、否応無しに目に入ってくるし、
恨めしい視線を送るしかこちらとしては手立てが無い。
安静しかないのか、残された道は。

それにしても、テレビってこんなに大きいのが必要な
のか。
そんなに皆、迫力ある大画面を望んでいるのか。
個人的には、20インチ前後で充分だが。
14インチでも別に問題ない。
基本的に、大きな画面で見るべきものがあるとは思わ
ないのだが、例えばスポーツ中継などは、大きいほど
良い、ということになってるらしい。
しかも、ハイビジョンなら更に良い、ということらし
い。
きれいな画像であることは認めるが、そうでなければ
とは思わない。
それより、部屋が大して広くも無いところに大きなテ
レビというアンバランスを感じないのだろうか。
空間にあわせた適正な大きさというものがあるだろう
に。

液晶の薄型だったらここまで思わないのでは、という
のは確かにあるが(何しろ今は私怨を抱いているから)、
適正の大きさというのは、薄型であろうがブラウン管
であろうが関係ない。
例えば、スポーツ中継以外の映画なども、大きければ
大きいほど良い、ということになっている。
遊園地の、体感型のあれ(名前を忘れた)のような感
覚を味わいたいのなら、確かに有効なのかとも思うが、
映画の場合、スクリーンとの違いはその質感なので、
テレビでは限界がある。
それに、そこまでする必要もない。
いい映画は、パソコンで見ようが、液晶で見ようが、
スクリーンで見ようが、同じように良いのである。

と、ここまでは個人的な好みの問題なのだが、テレビ
の大きさで本当に問題なのは、この大きいものがそっ
くり大きなゴミになるという事実ではないだろうか。
これは、現実的な話だ。
山の中に捨てられる不法投棄は、残念ながらなくなる
気配は無い。
テレビやら洗濯機がごろごろしている風景は、興ざめ
もいいところだ。
大きければ大きいほど、その処理は大変になる。
これは処分場でも同じであろう。
メーカーも少しは考えろという話なのだが、主導権は
消費者なのだから、結局は消費者一人一人が考えろと
いうことになるのだ。
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