今日の最低気温はマイナス12度。
昨日より一度高かった。
通りで暖かいわけだ、ということはあるはずも無く、
昨日と同じように刺す様な寒さだった。
ただ、昨日の最高気温は、予想のマイナス3度は大き
く外れ、マイナス1度であった。
ちょっと、残念である。
この辺の心理は、途中まで新記録を期待できそうなマラ
ソンが、結局そうならなかったときの心理に近いかも
しれない。
いずれにしろ、時候の挨拶には良い話題を提供してく
れる今日この頃である。
あるブログに出ていたが、日本人の意識調査の結果と
して、日本を誇りに思う人間の割合が増えたことに対
しての、藤原正彦の意見に対して触れていた。
藤原正彦はそれを「グローバリゼーションの結果とし
て、伝統回帰、日本の良さを見直す方向になった」と
自著の「日本の品格」的方向に沿って解釈していたが、
それはちょっと違うのではないかという内容だった。
つまり恣意的過ぎると。
それ以前に、調査対象の高齢化のほうが結果に影響し
ているのではないか、と。
年寄りほど「日本回帰」が強いのは間違いない。
しかも、昔の日本を郷愁とともに美化する傾向も強い。
つまり、対象の如何によって、結果は大きく変わるの
だから、単純に結論付けるのはどうかということだっ
た。
読売の調査だったので、そういう方向に持って行きた
いという恣意性は、こちらも見たときに感じた。
その客観性に疑問を感じたのだが、そもそも日本を誇
りに感じる時の日本とは何を指すのかという、もっと
根本的な疑問をこういう調査の時に感じる。
誇りに思うものもあれば、その逆も一杯ある。
少なくとも、声高にそういうことを言う人間が、その
対象となることはない。
漠然とした日本というイメージだけでは、とても誇り
に思うとは言いきれない。
むしろ、その漠然さゆえ、多くの人の思いを吸収でき
るというのは、所謂ナショナリズムのメカニズムとし
て重要であるということは分かっている。
日本という一つの人格で、しかも立派な品格の持ち主
であったなら誰でも誇りにする。
しかし、実際はそんなことがあるはずも無く、しかも
品格の無い人間が一番そういうものを利用して調子に
乗り前面に出てくる。
この手の話が胡散臭くなるのは、結局そういう登場人
物が多いからだ。
そんなことより、足元の問題をこつこつ解決している
人間をもっと評価しろという話なのではないだろうか。