中国の「強姦殺人事件」による暴動は、一体どの程度
の規模なのかはっきり分からないが、起きたという事
実が伝えられたというか知られただけでも、嘗てとは
大きな違いである。
中国も、インターネットを徹底的に取り締まることは
無理なのだから、もう少し考えた方がいい。
当局は、沈静したと発表したが、果たしてどうなのか。
あまり露骨にやると、オリンピックの時、またいろい
ろな問題を抱えることになる。
一般人による現場中継も、こういう言論統制の国だと
非常に有効である。
しかし、これが日本場合はどうなのかだ。
たとえば、この前の秋葉原。
人命救助活動をしている様子を携帯で生中継の光景
は、はっきり言ってみっともないものである。
しかしこれは、有名人に向かって携帯をかざす行為
(まるで新興宗教のような)と同じで、当人にとっ
ては価値のある映像なのである。
つまり、この映像を「オーッ」と喜ぶ受け取る側がい
ての行為なのだから、両者にとって価値があり成立し
ているのだ。
現場が悲惨であればあるほど価値が高い。
ひどい交通事故の現場ほど、情報としてのインパクト
が強い(イコール価値が高い)のと同じことだ。
良識の問題としては、平気で撮る人間は許せないとい
うことになる。
しかも一般人がとなるのだが、実は、この行為はテレ
ビなどのマスコミが普段普通にやっていることと同じ
なのである。
緊迫した現場の生中継。
或いは、スクープという名の犯人逮捕の瞬間。
報道という名で何度も見せ付けられた映像を、一般人
がやってるに過ぎないのだ。
現場にたまたま居合わせた人間が、報道記者に早変わ
りというわけだ。
例えば、凶悪犯を護送する車を、わざわざヘリコプター
を使って中継したりするが、これは果たしてニュース
価値があるのか。
或いは、被害者の家族に対するインタビュー。
これらは、視聴者の野次馬根性による好奇心を満足さ
せるためのものに過ぎないと思うが、当たり前のよう
に報道し続けていることから、それらに価値があると
しているのだろう。
となると、一般人がやっていることに対して批判は出
来ない。
完全に、同じ穴の狢なのだから。
違いは、プロかそうでないかということだけだ。
この場合のプロというのは、それを職業としているか
どうかという意味。
本来なら、ジャーナリストであるかどうかという意味
が重要なのだろうが、現状を見る限り、それはない。
既得権益を確保するために、マスコミはそういう行為
を批判するだろうが、全く説得力を持たないのが、何
とも哀しいところである。