U23の対オーストラリア戦を見たが、ベストエイトに
入る力は無さそうだ。
いずれにしろ、オリンピックという舞台でのサッカーの
位置付けは、世界的に見れば低いし、どっちでも良いの
だが、選手にとっては晴れ舞台なはずで、それなりに頑
張っているのだろうが、動きを見ている限り、今ひとつ
ぴりっとしない。
オーストラリアの選手は、はっきり言って動きは遅い。
その相手に、どうして直ぐに停滞するのだろう。
小技はあるが、ダイナミックな動きが少ないように感じ
るのは、日本代表と同じである。
ついでに、オリンピックの球技のメダル予想。
可能性があるのは「野球」と「ソフト」。
しかも、この二つの競技は、「テコンドー」と同じくら
い価値が低い(客観的に比較してみれば)。
しかし、メダルを取れば、間違いなくマスコミは大騒ぎ。
オリンピックで大騒ぎするより、もっと大事なことがあ
るだろう、というのは毎回感じることだ、間違いなく今
回も同じ光景が繰り返される。
それと、これもいつも感じることだが、オリンピックに
出たいという選手の気持ちは解るが、それにしても派遣
する選手数が多すぎではないか。
今の三分の一でいい。
慈善事業ではないのだから。
ひょっとして慈善事業か。
マスコミにとってのオリンピックは、自分達の生命線と
も言えるものだから、どうしても当たり前のものという
前提で話を進めるが、別に無ければ無いでどうってこと
も無い(こう考える人も極極少数であろうが)。
それより、見る度に腹立たしい国会議員の「海外視察」
の無意味さなどを何故もっと追及しないのか。
現地の大使館員は、その役に立たない議員の接待で、本
来の仕事が後回し。
どう考えても、おかしい。
「議員年金」問題もそうだし、根本的な議員の数(今
の半分でいい)とか、そういう問題を徹底的に追及して、
その後にオリンピックであるなら、別に騒いでも許せる
が、どうも、娯楽優先があからさまで信用置けない。
前にも触れたことがあるが、いろんな状況を考えあわせ
ると、スポーツとは、国民の目を政治に向かわせない一
大ツールである、とどうしても思えてしまう。
「馬鹿な国民はスポーツで熱狂してろ」、とほくそ笑ん
でいる人間の存在を感じるのは、私だけ?