検証アニマルセラピー ペットで心とからだが癒せるか, 林良博, 講談社ブルーバックス B-1252, 1999年
・「動物に癒される」 これまで経験則でしかなかったこの命題への、これまで主に海外でなされた科学的検証を紹介する。また、日本でのアニマルセラピーの取り組みを紹介し、その効果だけでなく問題点も指摘する。
・犬や猫は嫌いではありませんが、自分の家で飼うのは絶対反対!派です。単に「世話をするのが大変だから」というだけの理由ですが。そんな訳で、その昔、大学へ入学しゴールデンウィークになり実家へ帰省してみると子猫(ちーちゃん)出現。それからまた数ヵ月後に帰るとさらに子犬も出現。何も知らされていなかった私は、開いた口がふさがりませんでした。反対派の私がいなくなった途端に、期を覗っていた母親がここぞとばかりに飼ったものです。それからはやはり世話が大変でしたが、話が長くなるのでこの辺で。ともかく、ペットの効用を否定はしませんが、今も反対派であることに変わりはありません。
・「アニマルセラピーはほんとうに医療としての効果があるのだろうか。「信ずる者は救われる」というだけなら、宗教になってしまう。」p.6
・「人と動物の望ましい共存が、今日のアニマルセラピーで実現できるのだろうか。福祉の美名の下に、あらたな動物虐待が始まっていないだろうか。アニマルセラピーで人がどれほど癒されるかについては熱心に紹介される。しかしその時、動物たちにとってそれがどのようなことであったのかを考える人は少ない。」p.7
・「このように、異なる種の動物の子の世話をすることは、哺乳類全般に認められる。私たちが動物を身近に置きたいと思うのは、いわば本能的な感情でもあるのだ。」p.21
・「人間もその昔、圧倒されるほどの存在であった大自然の中で、多様な種とともに生きていたことを、小さなイヌやネコが気づかせてくれ、忘れかけていた生きる本能がよみがえり、生への活力を取り戻すのではないだろうか。」p.23
・「このように、アニマルセラピーは病んでいる人々だけを対象としているのではない。この点が、一般の医療と決定的に異なる。」p.25
・「寝たきりや徘徊癖のある人々にこれほど好結果を生むのに、施設の多くは動物を排除しつづけている。ホスピスや病院でも、ペットから人間に病気がうつるのでないかと危惧して、患者とそのペットがともに病室で暮らすことができないところがほとんどだ。」p.32
・「ペットから人へうつる病気よりも、同じ種である人から人へ伝染する病気のほうが、よっぽど重大だ。冗談ではなく、人と濃厚なキスをするくらいなら、イヌからなめられたほうが安全とさえいえる。」p.34
・「その結果、ペット飼育者は、必ずしも非飼育者よりも健康的な態度で暮らしているわけではなかった。たとえばペット飼育者のほうがよく酒を飲むし、いわゆるコンビニ弁当で食事をするし、一週間に七回以上肉類を食べていた。ただし、身体的な活動は非飼育者より多かった。 さらに、ペット飼育者と非飼育者の社会的・経済的な地位も比較されたが、社会的・経済的な地位もしくは収入における相違は発見されなかった。」p.58
・「この少数飼いが、日本の農耕社会の特徴である。農民は家畜を大切に扱い、身近に彼らを置くことで心の交流も持たれていたにちがいない。 さらに日本人は、食べるための家畜、食用家畜をほとんど飼育せず、西洋の牧畜民族の対極にある。」p.63
・「いずれにせよ、四足獣を食べることは禁じられた。しかしわが祖先たちは、タブー視された動物を翻訳し、巧みに言い訳した。イノシシは「山鯨」と言い直し、山寺の僧はネコを「山ふぐ」と称して食べていた。また、ウサギは鳥の「ウ」と「サギ」だから、獣ではないと強弁した。そこでウサギは一羽、二羽と数えるのだという。」p.66
・「たとえば日本では、医療としてのアニマルセラピーがなかなか立ちあがらない。長い間、動物とは「敬して遠ざける」間柄だった日本人は、動物の扱いがうまくない。」p.71
・「日本でのアニマルセラピーの実践例に、目を向けてみよう。 まず、1920年頃に慈恵医科大学の精神科医、森田正馬教授が自ら考案した森田療法に、動物の世話を取り入れている。 森田療法は、困難な状況に立ち向かうのではなく、「あるがままに」状況を受け入れ、精神の安定をはかるという、日本の精神風土を反映した独自の方法として知られている。」p.78
・「アニマルセラピーの全体像を知るには、実は、ウマを用いたセラピー(ホースセラピー)が最適なのである。アニマルセラピーは医療、教育、スポーツという三つの領域をもつが、ホースセラピーは、そのすべてを含んでいるからだ。」p.82
・「すなわち、ウマの背から伝導される上下、前後、回転運動が、人間の直立歩行に必要となる脊柱の対角線上の動きを学習する刺激になり得るという。」p.90 最近目にするようになった『乗馬マシン』の生い立ちはこの辺りからきているのですね。まだ馬に乗ったことがないので、一度乗ってみたいものです。
・「1980年代初頭、アニマルセラピー活動を支援するアメリカのデルタ教会は、アニマルセラピーを、アニマル・アシステッド・アクティビティ(動物介在活動 Animal Assisted Activity : AAA)とアニマル・アシステッド・セラピー(動物介在療法 Animal Assisted Therapy : AAT)に区別した。 AAAは治療上のゴールを定めず、動物と人々とのふれ合いを主な目的とする慰問活動である。一方AATは、医療従事者とボランティアなどが協力し、ゴールを設定して観察記録をとる治療行為である。」p.120
・「喩えは不適当かもしれないが、アニマルセラピーを一種の宗教のように思い込み、人々を救済しようなどと勘違いする人が増えるのは、人間にとっても動物にとっても不幸なことである。」p.130
・「ペットとの暮らしで癒されている人ほど、そのペットの死に大きなショックを受けやすい。これが最近マスメディアにも取り上げられているペットロス(pet loss)だ。これはペットとの死別や生き別れで起きる悲しみや不安、罪悪感、怒り、後悔などの心理過程をさす。」p.147
・「もっとも確実にペットロスから立ち直る力になるのは、じつは再びペットと暮らすことである。もう二度と同じ悲しみは味わいたくないという人も多いが、結局、そうすることがいちばんの癒しになる。」p.149
・「人と動物の間に一線を画することが、むしろ動物の幸せを守ることにもなるのだ。」p.151
・「何度も述べたように、この本ではアニマルセラピーを医療の領域に限ってはいない。人と動物とのかかわりのなかで、動物たちの「生活の質」を損なうことなく、人間の「生活の質」を向上させることができる活動を、アニマルセラピーとよんでいる。」p.154
・「ブームのように話題になってはいても、真のアニマルセラピーの普及は心もとないのが現状なのだ。 これは、動物は汚い、病気がうつる、世話が大変といった、動物にたいする誤解がネックとなっているのではなか。 また、心身にハンディをもつ人々に対して、動物の死は、なぜかタブー視される。」p.157
・「動物に癒される」 これまで経験則でしかなかったこの命題への、これまで主に海外でなされた科学的検証を紹介する。また、日本でのアニマルセラピーの取り組みを紹介し、その効果だけでなく問題点も指摘する。
・犬や猫は嫌いではありませんが、自分の家で飼うのは絶対反対!派です。単に「世話をするのが大変だから」というだけの理由ですが。そんな訳で、その昔、大学へ入学しゴールデンウィークになり実家へ帰省してみると子猫(ちーちゃん)出現。それからまた数ヵ月後に帰るとさらに子犬も出現。何も知らされていなかった私は、開いた口がふさがりませんでした。反対派の私がいなくなった途端に、期を覗っていた母親がここぞとばかりに飼ったものです。それからはやはり世話が大変でしたが、話が長くなるのでこの辺で。ともかく、ペットの効用を否定はしませんが、今も反対派であることに変わりはありません。
・「アニマルセラピーはほんとうに医療としての効果があるのだろうか。「信ずる者は救われる」というだけなら、宗教になってしまう。」p.6
・「人と動物の望ましい共存が、今日のアニマルセラピーで実現できるのだろうか。福祉の美名の下に、あらたな動物虐待が始まっていないだろうか。アニマルセラピーで人がどれほど癒されるかについては熱心に紹介される。しかしその時、動物たちにとってそれがどのようなことであったのかを考える人は少ない。」p.7
・「このように、異なる種の動物の子の世話をすることは、哺乳類全般に認められる。私たちが動物を身近に置きたいと思うのは、いわば本能的な感情でもあるのだ。」p.21
・「人間もその昔、圧倒されるほどの存在であった大自然の中で、多様な種とともに生きていたことを、小さなイヌやネコが気づかせてくれ、忘れかけていた生きる本能がよみがえり、生への活力を取り戻すのではないだろうか。」p.23
・「このように、アニマルセラピーは病んでいる人々だけを対象としているのではない。この点が、一般の医療と決定的に異なる。」p.25
・「寝たきりや徘徊癖のある人々にこれほど好結果を生むのに、施設の多くは動物を排除しつづけている。ホスピスや病院でも、ペットから人間に病気がうつるのでないかと危惧して、患者とそのペットがともに病室で暮らすことができないところがほとんどだ。」p.32
・「ペットから人へうつる病気よりも、同じ種である人から人へ伝染する病気のほうが、よっぽど重大だ。冗談ではなく、人と濃厚なキスをするくらいなら、イヌからなめられたほうが安全とさえいえる。」p.34
・「その結果、ペット飼育者は、必ずしも非飼育者よりも健康的な態度で暮らしているわけではなかった。たとえばペット飼育者のほうがよく酒を飲むし、いわゆるコンビニ弁当で食事をするし、一週間に七回以上肉類を食べていた。ただし、身体的な活動は非飼育者より多かった。 さらに、ペット飼育者と非飼育者の社会的・経済的な地位も比較されたが、社会的・経済的な地位もしくは収入における相違は発見されなかった。」p.58
・「この少数飼いが、日本の農耕社会の特徴である。農民は家畜を大切に扱い、身近に彼らを置くことで心の交流も持たれていたにちがいない。 さらに日本人は、食べるための家畜、食用家畜をほとんど飼育せず、西洋の牧畜民族の対極にある。」p.63
・「いずれにせよ、四足獣を食べることは禁じられた。しかしわが祖先たちは、タブー視された動物を翻訳し、巧みに言い訳した。イノシシは「山鯨」と言い直し、山寺の僧はネコを「山ふぐ」と称して食べていた。また、ウサギは鳥の「ウ」と「サギ」だから、獣ではないと強弁した。そこでウサギは一羽、二羽と数えるのだという。」p.66
・「たとえば日本では、医療としてのアニマルセラピーがなかなか立ちあがらない。長い間、動物とは「敬して遠ざける」間柄だった日本人は、動物の扱いがうまくない。」p.71
・「日本でのアニマルセラピーの実践例に、目を向けてみよう。 まず、1920年頃に慈恵医科大学の精神科医、森田正馬教授が自ら考案した森田療法に、動物の世話を取り入れている。 森田療法は、困難な状況に立ち向かうのではなく、「あるがままに」状況を受け入れ、精神の安定をはかるという、日本の精神風土を反映した独自の方法として知られている。」p.78
・「アニマルセラピーの全体像を知るには、実は、ウマを用いたセラピー(ホースセラピー)が最適なのである。アニマルセラピーは医療、教育、スポーツという三つの領域をもつが、ホースセラピーは、そのすべてを含んでいるからだ。」p.82
・「すなわち、ウマの背から伝導される上下、前後、回転運動が、人間の直立歩行に必要となる脊柱の対角線上の動きを学習する刺激になり得るという。」p.90 最近目にするようになった『乗馬マシン』の生い立ちはこの辺りからきているのですね。まだ馬に乗ったことがないので、一度乗ってみたいものです。
・「1980年代初頭、アニマルセラピー活動を支援するアメリカのデルタ教会は、アニマルセラピーを、アニマル・アシステッド・アクティビティ(動物介在活動 Animal Assisted Activity : AAA)とアニマル・アシステッド・セラピー(動物介在療法 Animal Assisted Therapy : AAT)に区別した。 AAAは治療上のゴールを定めず、動物と人々とのふれ合いを主な目的とする慰問活動である。一方AATは、医療従事者とボランティアなどが協力し、ゴールを設定して観察記録をとる治療行為である。」p.120
・「喩えは不適当かもしれないが、アニマルセラピーを一種の宗教のように思い込み、人々を救済しようなどと勘違いする人が増えるのは、人間にとっても動物にとっても不幸なことである。」p.130
・「ペットとの暮らしで癒されている人ほど、そのペットの死に大きなショックを受けやすい。これが最近マスメディアにも取り上げられているペットロス(pet loss)だ。これはペットとの死別や生き別れで起きる悲しみや不安、罪悪感、怒り、後悔などの心理過程をさす。」p.147
・「もっとも確実にペットロスから立ち直る力になるのは、じつは再びペットと暮らすことである。もう二度と同じ悲しみは味わいたくないという人も多いが、結局、そうすることがいちばんの癒しになる。」p.149
・「人と動物の間に一線を画することが、むしろ動物の幸せを守ることにもなるのだ。」p.151
・「何度も述べたように、この本ではアニマルセラピーを医療の領域に限ってはいない。人と動物とのかかわりのなかで、動物たちの「生活の質」を損なうことなく、人間の「生活の質」を向上させることができる活動を、アニマルセラピーとよんでいる。」p.154
・「ブームのように話題になってはいても、真のアニマルセラピーの普及は心もとないのが現状なのだ。 これは、動物は汚い、病気がうつる、世話が大変といった、動物にたいする誤解がネックとなっているのではなか。 また、心身にハンディをもつ人々に対して、動物の死は、なぜかタブー視される。」p.157