植物的生命像 人類は植物に勝てるか?, 古谷雅樹, 講談社 ブルーバックス B-827, 1990年
・「人類は植物に勝てるか?」 →「おそらく勝てないだろう」 なんとも不敵な副題です。生物種としては哺乳類なんかより植物の方がずっと先輩で、より洗練された生きるための機構を有しているという主張です。
・生命維持のために大きなポイントとなる "光" と "植物" の関係が興味深いです。考えてみると、光をあてただけでエネルギーを生産する(光合成)というのはとっても不思議な現象です。いわば天然の "ソーラー電池"。そんな高度なワザを編み出してまで生命を保とうとするその意志はどこからくるのか? ……って、書き抜きを読み返してみるとP.110で類似の話題が(苦笑)。
・「それでは、「すべての生物を一つにまとめた絵を描いてくれ」と頼まれたら、どうされますか。おそらく、「そんなものは、描けるものか」と断ってしまうことだろう。」p.16
・「それでは『動物』と『植物』を定義してほしいといわれてみると、それも思ったほどやさしくないことにすぐ気づく。」p.22
・「調べる階層によって、生物はすべての生物に共通な普遍的性質と、その種に固有な性質の両面をいろいろな割合で見せるのである。一般に、肉眼で見えるような生命現象に比べて、しだいに取り扱う階層が下がって、分子レベルに近づくほど、生物に共通な性質のほうが顕著になってきて、そこでは物理学や化学の法則がよく合うようになる。」p.59
・「今では細胞周期を、『DNAの複製を行なう時期』(S期)と『核が分裂する時機』(M期)、およびそれらの間にそれぞれ存在する二つの『間期』の四期に分けるようになった。M期の後、S期が始まるまでのDNA合成準備をギャップ1の時期(G1期)、S期の後、M期が始まるまでの分裂準備時期を二番目のギャップ(G2期)という。」p.64
・「この夜あるいは昼の長さの変化によって特有の生理現象をひき起こす光周性は、種子植物だけではなく、藻類や菌類さらには昆虫をはじめ種々の動物にも広く、今では認められている。」p.69
・「動物は個体として一つの統一あるシステムが完成しているので、その複雑な系を作っている一つ一つの素過程を分けて調べることがむずかしい場合が多い。これに対して、植物は個体よりも種の存続が優先する生き方をしているので、個体における形態や機能の分化が弱い。したがって植物を用いたほうが、ある一つの素過程だけを分けて調べやすい。このため、植物を用いたほうが、基本になる現象に気づきやすいので生物全体に共通する法則がたくさんとらえられたと思われる。」p.72
・「すべての生命を支えるエネルギー源が太陽の光にあり、それを生物が利用できる型のエネルギーに変えて受けとめているのが、常に植物なのである。その意味では植物は、動物と違って『他の生物に頼らないで生存し得る生物』といえる。」p.76
・「しかし葉緑体内部の光合成の過程は、ラメラで行なわれる二つの光化学反応(つまり光エネルギーによって水から炭素の還元に必要な水素をとり出す反応と、NADPを光によって還元する反応)と、それにひきつづいて葉緑体内のストロマと呼ばれる液状の部分で行なわれる電子伝達反応、光燐酸化反応、そして炭酸固定反応の暗反応など一連の長い反応系から成り立っている。」p.80
・「この葉緑体の秘密がすっかり解けて、人類が工場で太陽エネルギーを人工的に利用して、われわれや家畜などの食料となる有機化合物を自由に作れるようになったら、その時は人類が生態系における食物連鎖から分かれて、独立に生きていけることになり、人類の立場を大きく変えるだけでなく、他の生物の将来についても、はかり知れない大きな影響を与えることになる。」p.81
・「この節で述べた植物と動物の生き方の違いを例えていえば、植物は囲碁型であり、動物は将棋型である。囲碁では、殺されるとすべてが終わる王様は存在しないし、勝つためには平気で大石を捨てる。また個々の碁石の間には役目の分化は無く、置かれた位置しだいで役割が変わってくる。一方、将棋の王様ははじめから王としての役割が定まっていて、歩や飛車が代わることはできないし、個体でいえば首であろう。首を取られれば一巻の終わりである。したがって、動物的生命は相手の首を取るために、あらゆる策を講ずることになる。」p.87
・「ここでおもしろいのは、動物の発生過程は、例えていえば、テレビや映画のように、一つの画像が現われる時には、その前の画像は消え去って存在しない形式で進行する。どんなに筋書きが長くてもつねに現在の一コマしか見られない。過去の姿は時の進行とともに消え去ってしまう。 ところが、植物の発生は漫画型で、ストーリーをいつでも好きな一ページから読みなおせる。つまり植物の発生のプロセスはすべて自分の作られているからだの中に記録され残されていくので、いつでもはじめから発生のプロセスを見なおすことができる。」p.100
・「人ばかりではない。動物には自分の生命をいちばん大事にするという本能が備わっている。この動物特有のエゴイズムといってよいほどの本能的性質は、一体どこから来るのだろうか。」p.110
・「植物的生き方は、個体の生存よりは『種の存続中心』であるのに対して、動物的な生き方は『個体中心』ということができよう。」p.119
・「植物にだけあって動物にまったくないとか、逆に動物だけにあって植物にはない特徴というのは、実は非常に少ないのだ。植物の暮らしの中にも動物的生き方を認めることができるし、動物も、この本で述べる植物的特徴を多かれ少なかれ持つのがふつうである。植物的生命像というのは、植物にとくに強く現われると私が考えた生物の性質という意味である。」p.120
・「すべての生命に共通な性質があることは、今までに何回も述べた。しかし、不利な環境条件に遭遇した時に見せる生物の応答を見ると、動物的生命と植物的生命の間には大きな違いが認められる。」p.122
・「エアコンした部屋の中で夜ふけまで電気をつけてジャズを聴くような『人間型生き方』と、春一ヶ月だけ地上に姿を出し、あとの十一ヶ月は種子として休眠しているような植物的生き方という二つの極限を比べた場合、どちらが将来有望な『株』だろうか。私が投資家だったら、種の保存という将来性からいえば、少なくとも人間型生き方には投資しないことはたしかである。」p.124
・「この1952年に見出された『赤・近赤外光可逆的反応』は、その後、植物の発生や成長や分化などのさまざまな過程に広く関係して、環境の光情報を植物に伝えるたいせつな役割をしていることがわかってきた。」p.140
・「植物の眼のほうが、われわれの眼よりも、もっと広い波長範囲の光で外界を見ているなどと、今まで思ったことがあっただろうか。」p.151
・「細胞内構造のレベルで動物には見られないような運動や調節が行なわれることによって、植物細胞は、すぐれた外界検知能力とフィードバックを備えた『統一性を持ったシステム』になっており、オーガネラのレベルで、環境の刺激に対応するすばらしい調節機能を持っている。 これこそ植物的生命の特性であり、植物は動かないという常識は、人間自身のスケールからきた誤った常識といってよいだろう。」p.190
・「植物の遊泳細胞は、藻類でも菌類でもすべて鞭毛を細胞の先端で動かして進行する(図45)。つまり飛行機型で動くが、動物では精子の例でよくご存知のように鞭毛は細胞の尻尾についており、その動きによって後から細胞を推す型で進む。つまり船型なのである。なぜ、植物と動物で逆の向きになったのかは、今のところだれも説明できないけれども、長い進化の道のかなり昔に分かれた性質に違いない。」p.194
・「植物の中には、セコイヤメスギや屋久杉のように何百年も一つの個体が寿命を保つ樹木がある。それらは、とても大きくて強そうに見える。しかし、植物の世界の中では、実は彼らはむしろ時代遅れの植物マンモスなのである。」p.212
・「救いの神がよそから来て、迷える人類を助けてくれるはずはない。われわれの生存に対する救いの神は、われわれ自身の「理性」なのである。」p.240
?ゆうずうむげ【融通無碍】 一定の考え方にとらわれることなく、どんな事態にもとどこおりなく対応できること。
・「人類は植物に勝てるか?」 →「おそらく勝てないだろう」 なんとも不敵な副題です。生物種としては哺乳類なんかより植物の方がずっと先輩で、より洗練された生きるための機構を有しているという主張です。
・生命維持のために大きなポイントとなる "光" と "植物" の関係が興味深いです。考えてみると、光をあてただけでエネルギーを生産する(光合成)というのはとっても不思議な現象です。いわば天然の "ソーラー電池"。そんな高度なワザを編み出してまで生命を保とうとするその意志はどこからくるのか? ……って、書き抜きを読み返してみるとP.110で類似の話題が(苦笑)。
・「それでは、「すべての生物を一つにまとめた絵を描いてくれ」と頼まれたら、どうされますか。おそらく、「そんなものは、描けるものか」と断ってしまうことだろう。」p.16
・「それでは『動物』と『植物』を定義してほしいといわれてみると、それも思ったほどやさしくないことにすぐ気づく。」p.22
・「調べる階層によって、生物はすべての生物に共通な普遍的性質と、その種に固有な性質の両面をいろいろな割合で見せるのである。一般に、肉眼で見えるような生命現象に比べて、しだいに取り扱う階層が下がって、分子レベルに近づくほど、生物に共通な性質のほうが顕著になってきて、そこでは物理学や化学の法則がよく合うようになる。」p.59
・「今では細胞周期を、『DNAの複製を行なう時期』(S期)と『核が分裂する時機』(M期)、およびそれらの間にそれぞれ存在する二つの『間期』の四期に分けるようになった。M期の後、S期が始まるまでのDNA合成準備をギャップ1の時期(G1期)、S期の後、M期が始まるまでの分裂準備時期を二番目のギャップ(G2期)という。」p.64
・「この夜あるいは昼の長さの変化によって特有の生理現象をひき起こす光周性は、種子植物だけではなく、藻類や菌類さらには昆虫をはじめ種々の動物にも広く、今では認められている。」p.69
・「動物は個体として一つの統一あるシステムが完成しているので、その複雑な系を作っている一つ一つの素過程を分けて調べることがむずかしい場合が多い。これに対して、植物は個体よりも種の存続が優先する生き方をしているので、個体における形態や機能の分化が弱い。したがって植物を用いたほうが、ある一つの素過程だけを分けて調べやすい。このため、植物を用いたほうが、基本になる現象に気づきやすいので生物全体に共通する法則がたくさんとらえられたと思われる。」p.72
・「すべての生命を支えるエネルギー源が太陽の光にあり、それを生物が利用できる型のエネルギーに変えて受けとめているのが、常に植物なのである。その意味では植物は、動物と違って『他の生物に頼らないで生存し得る生物』といえる。」p.76
・「しかし葉緑体内部の光合成の過程は、ラメラで行なわれる二つの光化学反応(つまり光エネルギーによって水から炭素の還元に必要な水素をとり出す反応と、NADPを光によって還元する反応)と、それにひきつづいて葉緑体内のストロマと呼ばれる液状の部分で行なわれる電子伝達反応、光燐酸化反応、そして炭酸固定反応の暗反応など一連の長い反応系から成り立っている。」p.80
・「この葉緑体の秘密がすっかり解けて、人類が工場で太陽エネルギーを人工的に利用して、われわれや家畜などの食料となる有機化合物を自由に作れるようになったら、その時は人類が生態系における食物連鎖から分かれて、独立に生きていけることになり、人類の立場を大きく変えるだけでなく、他の生物の将来についても、はかり知れない大きな影響を与えることになる。」p.81
・「この節で述べた植物と動物の生き方の違いを例えていえば、植物は囲碁型であり、動物は将棋型である。囲碁では、殺されるとすべてが終わる王様は存在しないし、勝つためには平気で大石を捨てる。また個々の碁石の間には役目の分化は無く、置かれた位置しだいで役割が変わってくる。一方、将棋の王様ははじめから王としての役割が定まっていて、歩や飛車が代わることはできないし、個体でいえば首であろう。首を取られれば一巻の終わりである。したがって、動物的生命は相手の首を取るために、あらゆる策を講ずることになる。」p.87
・「ここでおもしろいのは、動物の発生過程は、例えていえば、テレビや映画のように、一つの画像が現われる時には、その前の画像は消え去って存在しない形式で進行する。どんなに筋書きが長くてもつねに現在の一コマしか見られない。過去の姿は時の進行とともに消え去ってしまう。 ところが、植物の発生は漫画型で、ストーリーをいつでも好きな一ページから読みなおせる。つまり植物の発生のプロセスはすべて自分の作られているからだの中に記録され残されていくので、いつでもはじめから発生のプロセスを見なおすことができる。」p.100
・「人ばかりではない。動物には自分の生命をいちばん大事にするという本能が備わっている。この動物特有のエゴイズムといってよいほどの本能的性質は、一体どこから来るのだろうか。」p.110
・「植物的生き方は、個体の生存よりは『種の存続中心』であるのに対して、動物的な生き方は『個体中心』ということができよう。」p.119
・「植物にだけあって動物にまったくないとか、逆に動物だけにあって植物にはない特徴というのは、実は非常に少ないのだ。植物の暮らしの中にも動物的生き方を認めることができるし、動物も、この本で述べる植物的特徴を多かれ少なかれ持つのがふつうである。植物的生命像というのは、植物にとくに強く現われると私が考えた生物の性質という意味である。」p.120
・「すべての生命に共通な性質があることは、今までに何回も述べた。しかし、不利な環境条件に遭遇した時に見せる生物の応答を見ると、動物的生命と植物的生命の間には大きな違いが認められる。」p.122
・「エアコンした部屋の中で夜ふけまで電気をつけてジャズを聴くような『人間型生き方』と、春一ヶ月だけ地上に姿を出し、あとの十一ヶ月は種子として休眠しているような植物的生き方という二つの極限を比べた場合、どちらが将来有望な『株』だろうか。私が投資家だったら、種の保存という将来性からいえば、少なくとも人間型生き方には投資しないことはたしかである。」p.124
・「この1952年に見出された『赤・近赤外光可逆的反応』は、その後、植物の発生や成長や分化などのさまざまな過程に広く関係して、環境の光情報を植物に伝えるたいせつな役割をしていることがわかってきた。」p.140
・「植物の眼のほうが、われわれの眼よりも、もっと広い波長範囲の光で外界を見ているなどと、今まで思ったことがあっただろうか。」p.151
・「細胞内構造のレベルで動物には見られないような運動や調節が行なわれることによって、植物細胞は、すぐれた外界検知能力とフィードバックを備えた『統一性を持ったシステム』になっており、オーガネラのレベルで、環境の刺激に対応するすばらしい調節機能を持っている。 これこそ植物的生命の特性であり、植物は動かないという常識は、人間自身のスケールからきた誤った常識といってよいだろう。」p.190
・「植物の遊泳細胞は、藻類でも菌類でもすべて鞭毛を細胞の先端で動かして進行する(図45)。つまり飛行機型で動くが、動物では精子の例でよくご存知のように鞭毛は細胞の尻尾についており、その動きによって後から細胞を推す型で進む。つまり船型なのである。なぜ、植物と動物で逆の向きになったのかは、今のところだれも説明できないけれども、長い進化の道のかなり昔に分かれた性質に違いない。」p.194
・「植物の中には、セコイヤメスギや屋久杉のように何百年も一つの個体が寿命を保つ樹木がある。それらは、とても大きくて強そうに見える。しかし、植物の世界の中では、実は彼らはむしろ時代遅れの植物マンモスなのである。」p.212
・「救いの神がよそから来て、迷える人類を助けてくれるはずはない。われわれの生存に対する救いの神は、われわれ自身の「理性」なのである。」p.240
?ゆうずうむげ【融通無碍】 一定の考え方にとらわれることなく、どんな事態にもとどこおりなく対応できること。