夏への扉, ロバート・A・ハインライン (訳)福島正実, ハヤカワ文庫 SF345, 1979年
(THE DOOR INTO SUMMER, Robert A. Heinlein, 1957)
・SF界の巨匠、ハインラインによる名作。同著者の著作を読むのは大昔に「異星の客」を読んで以来、二冊目。
・舞台は1970年のアメリカ。最愛の猫ピートと暮す主人公のダンは、アイディア豊富で発明品を次から次に開発する優秀な技術者。しかし、順風満帆だった彼の人生に突然の不幸が訪れ、失意に満ちたダンは冷凍睡眠(コールド・スリープ)に入る事を決意する。
・いかにもアメリカ的な言い回しが多く、読んでいてときどきニヤリとしてしまう。特に主人公が相手を罵倒する場面はケッサク。
・1950年代に想像した西暦2000年の世界は興味深い。残念ながら、技術の進歩に現実とはかなりのズレがありますが。
・"名作" の名に恥じぬ内容。ホンワカした読後感で、幸せになれます。
・「だが彼は、どんなにこれを繰り返そうと、夏への扉を探すのを、決して諦めようとはしなかった。」p.9
・「ままならぬ浮世に一時おさらばして、新世界に再び目を覚ます。もし保険会社の宣伝文句を信用すれば、おそらくはいまよりずっとましな世界になっているはずだ。もちろん、もっと悪い世界である場合もあり得る。が、ともかく、いまの世界とちがった世界ではあるだろう。」p.15
・「このうち、期限については、〇が三つ並んでいてきりもいいし、ちょうど三十年めに当るので、二〇〇〇年とすることにした。これ以上長くすると、目を醒ましたとき、あまりズレすぎてしまう惧れがあったからだ。過去三十年(すなわちぼくの全生涯)間の世の中の変化は、まさに人をして瞠若たらしめるものがあった。二回の大戦争と比較的小規模の一ダースもの戦闘、それに続くコムミュニズムの没落、世界的経済恐慌、そして人工衛星の射ちあげ。すべての動力源の原子力への転換、等々々である。」p.26
・「血液停滞(ステーシス)、冷凍睡眠(コールドスリープ)、仮死状態(ハイパーネーション)、新陳代謝人工減少(リジュースド・メタボリズム)――どう呼んでもそれは勝手だが、兵器廠の兵站医学課は、人間を材木かなにかのように積んでおいて、必要に応じて蘇生させて使う方法をついに発見していたのだった。まずその人間を麻酔し、つぎに仮死状態にしてから冷却をはじめ、摂氏四度――つまり水が氷の結晶をともなわぬマキシマムの比重に、体温を保つようにする。これでOK。人間は文字どおり完全な人的資源となり、必要に応じて蘇生させるまで冬眠しつづける。急ぎの場合は熱線透過療法と催眠覚醒法とを併用することによって、十分間以内に蘇生させることができた。(現に、アラスカのノームでは、七分という記録がある)ただし、こんなに超スピードで蘇生させると、細胞組織を老衰させる結果、それ以後その人間は少しく頭がおかしくなってしまうおそれがあった。急がない場合には、ミニマム二時間が理想的なのだ。それ以上早い方法には、職業軍人のよくいう "計算ずみの危険(カルカレーテッド・リスク)" があった。」p.37
・「諸君はテレビの野球実況を見ていて、画面がロング・ショットからクローズ・アップに移るとき、画面いっぱいに拡がった投手のピッチング・モーションのはるかむこうに、球場の全景が見えて、その彼方に投手自身の豆つぶのような姿が、まだ白昼の亡霊さながらに残っているのを見たことがあるだろう。ぼくの感情はなにかそれに似ていた……ぼくの記憶はクローズ・アップ。そしてぼくの感情は、画面の背後に拡がる球場の全景だ。」p.118
・「さて、なにを訊こうか? 三十年眠ったあとで、人はふつうどんなことを訊くものだろ? 星間飛行はもう実現しましたか? こんどは、どこの国が<最終戦争>を始めましたか? 赤ン坊はもう実験室で試験管の中から生れるようになりましたか? ぼくはいった。「先生、映画館のロビーには、まだポプコーン自動販売機が置いてありますか?」」p.123
・「ぼくの親爺がよくいっていた。法律が複雑になればなるほど、悪党どものつけいる隙も多くなるのだと。親爺はこうもいった。賢い人間は、いつでも荷物を捨てる用意をしておくべきだ、と。」p.143
・「ことにお前らのような、自分の生まれた時代にもやって行けなかっただらしのない連中だ。全く、なろうことなら、お前の首に、<あんたがたの夢みる未来の世界にも黄金の舗装道路はありません>という手紙をくっつけて、お前の来た年へ蹴返してやりたいくらいだ」p.157
・「なんどひとに騙されようとも、なんど痛い目をみようとも、結局は人間を信用しなければなにもできないではないか。全く人間を信用しないでなにかやるとすれば、山の中の洞窟にでも住んで眠るときにも片目をあけていなければならなくなる。いずれにしろ、絶対安全な方法などというものはないのだ。ただ生きていることそのこと自体、生命の危険につねにさらされていることではないか。そして最後には、例外ない死が待っているのだ。」p.266
?ぎく【疑懼・疑惧】 うたがいおそれること。
(THE DOOR INTO SUMMER, Robert A. Heinlein, 1957)
・SF界の巨匠、ハインラインによる名作。同著者の著作を読むのは大昔に「異星の客」を読んで以来、二冊目。
・舞台は1970年のアメリカ。最愛の猫ピートと暮す主人公のダンは、アイディア豊富で発明品を次から次に開発する優秀な技術者。しかし、順風満帆だった彼の人生に突然の不幸が訪れ、失意に満ちたダンは冷凍睡眠(コールド・スリープ)に入る事を決意する。
・いかにもアメリカ的な言い回しが多く、読んでいてときどきニヤリとしてしまう。特に主人公が相手を罵倒する場面はケッサク。
・1950年代に想像した西暦2000年の世界は興味深い。残念ながら、技術の進歩に現実とはかなりのズレがありますが。
・"名作" の名に恥じぬ内容。ホンワカした読後感で、幸せになれます。
・「だが彼は、どんなにこれを繰り返そうと、夏への扉を探すのを、決して諦めようとはしなかった。」p.9
・「ままならぬ浮世に一時おさらばして、新世界に再び目を覚ます。もし保険会社の宣伝文句を信用すれば、おそらくはいまよりずっとましな世界になっているはずだ。もちろん、もっと悪い世界である場合もあり得る。が、ともかく、いまの世界とちがった世界ではあるだろう。」p.15
・「このうち、期限については、〇が三つ並んでいてきりもいいし、ちょうど三十年めに当るので、二〇〇〇年とすることにした。これ以上長くすると、目を醒ましたとき、あまりズレすぎてしまう惧れがあったからだ。過去三十年(すなわちぼくの全生涯)間の世の中の変化は、まさに人をして瞠若たらしめるものがあった。二回の大戦争と比較的小規模の一ダースもの戦闘、それに続くコムミュニズムの没落、世界的経済恐慌、そして人工衛星の射ちあげ。すべての動力源の原子力への転換、等々々である。」p.26
・「血液停滞(ステーシス)、冷凍睡眠(コールドスリープ)、仮死状態(ハイパーネーション)、新陳代謝人工減少(リジュースド・メタボリズム)――どう呼んでもそれは勝手だが、兵器廠の兵站医学課は、人間を材木かなにかのように積んでおいて、必要に応じて蘇生させて使う方法をついに発見していたのだった。まずその人間を麻酔し、つぎに仮死状態にしてから冷却をはじめ、摂氏四度――つまり水が氷の結晶をともなわぬマキシマムの比重に、体温を保つようにする。これでOK。人間は文字どおり完全な人的資源となり、必要に応じて蘇生させるまで冬眠しつづける。急ぎの場合は熱線透過療法と催眠覚醒法とを併用することによって、十分間以内に蘇生させることができた。(現に、アラスカのノームでは、七分という記録がある)ただし、こんなに超スピードで蘇生させると、細胞組織を老衰させる結果、それ以後その人間は少しく頭がおかしくなってしまうおそれがあった。急がない場合には、ミニマム二時間が理想的なのだ。それ以上早い方法には、職業軍人のよくいう "計算ずみの危険(カルカレーテッド・リスク)" があった。」p.37
・「諸君はテレビの野球実況を見ていて、画面がロング・ショットからクローズ・アップに移るとき、画面いっぱいに拡がった投手のピッチング・モーションのはるかむこうに、球場の全景が見えて、その彼方に投手自身の豆つぶのような姿が、まだ白昼の亡霊さながらに残っているのを見たことがあるだろう。ぼくの感情はなにかそれに似ていた……ぼくの記憶はクローズ・アップ。そしてぼくの感情は、画面の背後に拡がる球場の全景だ。」p.118
・「さて、なにを訊こうか? 三十年眠ったあとで、人はふつうどんなことを訊くものだろ? 星間飛行はもう実現しましたか? こんどは、どこの国が<最終戦争>を始めましたか? 赤ン坊はもう実験室で試験管の中から生れるようになりましたか? ぼくはいった。「先生、映画館のロビーには、まだポプコーン自動販売機が置いてありますか?」」p.123
・「ぼくの親爺がよくいっていた。法律が複雑になればなるほど、悪党どものつけいる隙も多くなるのだと。親爺はこうもいった。賢い人間は、いつでも荷物を捨てる用意をしておくべきだ、と。」p.143
・「ことにお前らのような、自分の生まれた時代にもやって行けなかっただらしのない連中だ。全く、なろうことなら、お前の首に、<あんたがたの夢みる未来の世界にも黄金の舗装道路はありません>という手紙をくっつけて、お前の来た年へ蹴返してやりたいくらいだ」p.157
・「なんどひとに騙されようとも、なんど痛い目をみようとも、結局は人間を信用しなければなにもできないではないか。全く人間を信用しないでなにかやるとすれば、山の中の洞窟にでも住んで眠るときにも片目をあけていなければならなくなる。いずれにしろ、絶対安全な方法などというものはないのだ。ただ生きていることそのこと自体、生命の危険につねにさらされていることではないか。そして最後には、例外ない死が待っているのだ。」p.266
?ぎく【疑懼・疑惧】 うたがいおそれること。