ちはやふる2 第25話 ふじのたかねにゆきはふりつつ とまとめ ○+
われてもすえにあわむとぞおもふ
前期の最後も頂上決戦的な所はちはや達には「当事者」になれないのよね
そういう気後れがちはやの恋心と微妙に混じって新に対して複雑な想いがあることは覗える
勝負モノらしくなにかこう清々しいぐらいに明白な「隔たり」ってのがあって
だからこそに気持ちもモノおもいも異常なぐらいキワがたっているのだとおもう
それは当今の「みんななかよしこよし」が捨ててしまっている「なにか」なんかもしれぬ。
ただまあ、その「隔たり」ってのが「努力」でなかなか埋まらないってあたりまで来ていて
鮮烈な印象を与える「隔たり」(ちはやが初めて新とかるたをした時のような)が
ちはやには「辛い」ものであるかのように感じてるって状況になっているわけね
かるたを恋心に代えればまあそのまんま少女漫画になる、呆れるほどの直截さで。
ココロちゅうカタチのないものが和歌やかるたを通してまっすぐに伝わるわけね
私みたいなボンクラでもそれがわかるのはまあ凄いっす。
ついでだけど2期に入ってから詠み手の「詠み」が心地よくなってきたってのはある
結構いろいろな詠み手の声を聴いてるうちにだんだん鋭くなってきたのかもね
視聴している人の神経まで鋭敏になる作品こそあらまほしきものよな。
変態王子と笑わない猫。 第12話 変態王子と記憶の外 とまとめ △(+)
奇跡の価値は
ラノベ的な構造として出だしやタイトルの「一発ネタ」ってのを提供して
「物語」ってのはそのあとについてくる、ってのがあるわな
男の子の主人公が「後から」設定を説明し出したり思い出したりするのは
そういったことの補償行為みたいなものなのかもしれない。
王子が支払ってる代償が「記憶」だというのなら
当作品が「忘却」されることは悲しいことではあろうねえ
ただ「何でも願いが叶うセカイ」ってそんなに記憶に残るかねえってのはある
いや、だからこそ私たちは浴びるように「奇跡」と「女の娘」を「消費」できるのかもしれない
このおはなしはそういう「消費」されるべき何かをそれそのものの権化であるかのように装いながら
何とかそれに抗おうってそういうハナシなのかもしれないね。いじらしいよね、小豆梓のように
月子も小豆梓も王子が望む性的な要素は抑えめ(特殊な御仁は除く)なのも
「そういうこと」なのかもしれない、まああんまし抑制すると反発しちゃうから
「鋼鉄さん」とかでバランスをとってたのかもね、中の人的にはぴったしな役回りではある。
俺の妹がこんなに可愛いわけがない。
第13話 妹(あたし)が兄(あいつ)に恋なんてするわけない ○
一発ネタから始まって視点が変わるほどにハナシが続いたのはまあ感慨がある
京介と桐乃の無邪気さをここで描いておくのはアリだな、結局はそこが原点だったのだから
それがまあハーレムよろしくいろんな「女の娘」が出てきて
その娘たちが「友達」と「ライバル」のあいだでごっちゃになってすったもんだのすえに
まあ、こうなりました、って感じで。何話か前に桐乃がウェディング衣装を着てたのも
ちょっと「大人」になった姿を見せる、ってのがあったのかもなあ。
ただまあ二期は京ちゃんがまわりの女の娘にあげたモノが随分バブリーになって
返済が行われているような気がせぬでもないな、まさしく「ハーレム王」かと
そのにわか成金ぶりにしっとせずにはいられぬかもなあw
よんでますよ、アザゼルさん。Z と 波打際のむろみさん のまとめ △++
>アザゼルさん
いやあ全篇キッチリ「汚れたもの」を取り扱う様は流石悪魔漫画ってな感じで
ただ出てきた話題ってなにげに「この世」に実在する「嫌なこと」なんだよね
変態とか寝取ったとか寝取られたとか引きこもりとか介護とか
そういう正視に耐えられないなにかを戯画化して提示してるワケね(それでも非道いがw)
そういう意味では「島耕作」とかよりもよっぽど「大人」のためのまんがなんかもしれん。
まあラスボスは「幼なじみ」でしたねえw、そうよな、おかんでなかったら
自分のちっぽけなテリトリーにズカズカ踏み込んでくるのは理不尽な仕事とそれぐらいなものだ
アゼザルさんに対する全方位的ないじめぶりこそ「悪魔的」かもしれないね
こんだけ虐げられても「よんでますよ」でまたアザゼルさんは召喚に応じるのだろうね
だって「仕事」がないよりマシだもの
>むろみさん
ギャグ漫画的に「捨てちゃってる」ものがちゃんとあるよね
当作品だとむろみさんの羞恥心と「陸」っていう舞台(常識ともいう)
「むろみさん」はキャラ的には年を経て小娘らしさを捨てちゃったおねえさんだよね
まあそれは中の人的にはかなーりマッチしていて、でも愛らしさがあるといううまみ
「とりあえず海のはなし」をしとけばいいやっていうテケトーさがまあ九州男児ばいってかw
「進撃の巨人」なんかもそうだけどいい意味で「マガジンらしさ」が今年はアニメとして
楽しめた感じかもね、ちょうど時代の潮目にいるのかもしれない。
這いよれ!ニャル子さんW
第12話 さようならニャル子さんW とまとめ △(+)
夢見る邪神じゃいられない
だんだんクトゥルフ臭が薄れていったとゆーかまあ最初からこーなるのは目にみえていたわなあ
元の方向性でやるんなら「むろみさん」みたいなノンキさが要るがそこまではムリか
結構ふざけているようで真面目なはなしだからね、なんかフツーにハナシを進めなければならない「呪い」とでもいおうか
「妹が~」とか巫山戯た設定の小説でも書き方そのものはフツーってのはよくある話
話とネタにアヤがないのだから結局ニャル娘の価値は「喪失」によってしか確認しえないのよね
まじめな子が必死にアッピールする様といえばいいのか、けなげでそして哀しいかも
「クトゥルフ」側の「援護」がない以上、ニャル娘は「真尋さん」にあり方を依存しなければならず
優しい真尋くんはそれが分かっているからこそある程度受け入れてはいるけど
恋愛対象になっていかないもどかしさがあるのかもしれないねえ
まあそんな感じで、最近はニャル娘を「振り向いてもらえないけどけなげにがんばる娘」っちゅう
随分古びた設定の少女漫画的な感じで視聴することが多かったとおもう
「スキです!」って連呼するほどココロが離れていくってのも何とも不思議なハナシではあるよな
まあ、もうみんなそのあたりのことは流石にわかっているからそういうのも廃れたのだろうけど
そのあたりの機微が分からない「邪神」が演じる戯画化した少女漫画なのかもしれない、当作品