蟲師 続章 第10話 冬の底 △++
荒涼とした山でギンコがひとり語り続けるという
まあある種全くの無駄を排除したおはなし
相変わらず自然を描きようはため息しかでない高レベルさだけど
「枯れ果てた山」の寂寞(じゃくまく)さ加減はいとおそろし
「夜の山」ってすごく怖いのよね、それがさらに強まったかんじ。
しかしまあ「ギンコ」ってのは不思議なしゃべり方をしてるよな
「感情」や「抑揚」をのせていない「囁く」ようなそれを
中野裕斗さんが好演してる。
ラブライブ! 第2期 第12話 「ラストライブ」 ○!
みんなで
「分かち難い」とはこういうことか
みんな誰かを「ぎゅーっ」とすることにためらいが全く無いのね
うれしい時もかなしい時もそれができるぐらいの絆になったってことね
九枚それぞれに可愛くて違っているけどそれが1つになってライブを
やっている時の一体感は何だろう、「アニメ」だから完璧にシンクロして
踊れるってわかっているけどね、もう「できて当たり前」なんて
思えないぐらいに彼女たちの物語(ライブ)に立ち入ってしまった。
アンコールは「僕らは今のなかで」か、完璧です
もう100回は聴いてるけど歌詞がココロにぐいぐい染みこんでくることおびただしい
3人で始まって9人になってそして「みんな」のものになった物語
selector infected WIXOSS 第12話 「その選択は…」
ととりあえずまとめ △+
その物語は中途
「カードゲームの説明」ってもの凄く煩わしくて面白くないから
しぜん「カードゲーム」を扱った作品はカードゲームの本質的な魅力とは正反対の
「脳天気なパワーゲーム」的な趣向になってしまいがちなのだけど
当作品は「質草」を真剣に描き出すことによって
「パワーゲーム」によって失ってしまうものに「痛み」を与えていることに
成功しているとおもう、それは僕たちが多かれ少なかれ参加している
「経済ゲーム」(あるいは「社会ゲーム」)に通じるものであるかもしれない。
肝心の「ゲーム」の内容にこと細かに触れていないことによって
「強いキャラには勝てない」的な「理不尽さ」はこの世に確かにある「暴力」の
理不尽さともいえ、それに惹かれる人がいるのもむべからざることではあろう。
そういう厳しい状況のなかで紡がれる少女3人の絆が、はかなく、尊いかと
そしてこの物語はその絆すら「ゲームのルール」によってずだずだにするわけで
それは「巨人」に侵略されることに劣らずきびしいものだと言っていいとおもう
そして「ゲームの終焉」を望んだ少女の願いは「ゲームの永続」を望んだ少女の願いと
「等価値」というオチがついたわけで、まこと「現実」の厳しさに肉薄しているかと
「想いが強い方が勝つ!」とか根性理論が蔓延してる媒介でそれを逆手にとって
「酷薄ななにか」を描き出す製作者の怜悧さにキリキリ舞するほかないね
あるいは「女の娘達」にそれをさせるのもその目的の為の「手段」なのかもしれない。
健全ロボ ダイミダラー
第12話 決戦!健全ロボ対ダイミダラー とまとめ △(+)
なんだろねこの「おっぱい」以外つかみどころが無いはなし
「健全」がラスボスっぽかったけど、とってつけたような感はあるの
というか全篇「とってつけたようなおはなし」で紡がれていたようなかんじ。
つまらん、というワケではなくてこれはこれで徹底してるから一方法ではあるね
もっとハチャメチャにすれば「ミルキィホームズ」とかのような芸風になるけど
そこもありがちな「おっぱい」で手綱をとっていたようなな
しかしなんだろうねえ、この「おっぱい」に対する執着は
確かにいいものではあるけど童貞並のこだわりだわな
まあもちっと性的に掘り下げちゃうとそれこそ「健全な人達」からクレームが来かねないがw
そういうありそでなさそなリビドーのままに作品を描いたようなそんな感じだった
まああんまし掘り下げないでこんぐらいの態度で性欲とつきあうのが
「燃え尽きない」コツなんかもしれないねえ
追記 CMでやってた「遠藤組」の人達が「モノホンヤクザ」ぽくて怖かったw