魔弾の王と戦姫 第11話 「戦姫二人」 △+
乳揉みと竜殺し
「デカブツをちっさい人間が狩る」とかキャッチーですね
ただまあ今回は戦姫2人っちゅうことで、いわゆる
「仲が悪いのに良いコンビネーション」ってやつ
お互いに手持ちの札と性分が知れているからこそってやつだろう
ただ、それだけの火力を持つ連中でも「単身軍隊」的なことを
あまりさせたりはせず、必ず2人以上の「集団戦」をベースにしているのが
「戦争」ってのをナメていなくて、それが強い足腰になってる
そしてそういうつよーいお姉ちゃん達の乳をとっかえひっかえ
揉みしだいてるティグルさんにシビれる憧あこがれるゥ!
ふむ、どうすればあやかれるのでしょうねw
どうも「不意打ち」がコツらしいね、戦争も恋愛も相手が予想
しないとこを攻める「兵は詭道」なり、だ。
甘城ブリリアントパーク 第12話 未来は誰にもわからない! △++
最後の最後に魔法的な奇跡による解決ではなくて
人海戦術によるゴリ押しがなんというか身も蓋もないなあw
「SHIROKBAKO」もそうだけど「妖精さんが何とかしてくれる」
ってことがない「現実」がよく描けているねえ
あと「電話」が異常に役にたっているよね、アレが「必要」なほど
「現実的」なハナシに近づいていく、断られるのが前提でかける
依頼の電話ってのはまさしく「トライ・アンド・エラー」の真髄
そうやっておいて完全に諦めていたラティファの記憶の件に
奇跡が起こるというサプライズが嬉しい
地味な努力を積み重ねてたまさかの成功を待つという大人のやり方と
魔法よろしくなエンターテイメント性が上手く組み合わさってる
「ろこどる」以来そういう流れがこの枠にはあるなあ。
結城友奈は勇者である 第11話 情熱 △++
あれだなあ、にぼっしーって「損な後輩」って役回りよね
ちょっと先に行ってる主人公達に焦る、そしてそれゆえに
「いい子」になれないところがある、ってやつ
それを取り込んでいくのにドラマがあるのだけど
それに十二分に成功しておいて・・・ってつらい展開
「真実」が「友愛」を引き裂いて、調度そのはさまの「底」で
頑張らなくっちゃならない時にかりんちゃんに出番がくるという
そういう「巡り合わせの悪さ」ってのはあることで
「なるべくしてなった残酷な運命」をその奮闘とともに見とどけるっていう
とても面白くてとてもつらい重力が発生している。
デンキ街の本屋さん 第12話
隠者の書庫/桜が咲いたら/Welcoming morning とまとめ △(+)
(淫)夢を売る商売
あれっすよね、カタギの人間からするとこういう「オタク商売」ってのは
「子ども向けのマンガをエロくして売りつけてるおぼつかない連中」っていう
軽蔑と羨望がいり混じったイメージがありますよね
そのあたりを真正面から扱ってもいいのだけど、まあ当作品は
そのおぼつかない連中の側のせまーい箱庭を描くってことに終始していたかと
わけてもこんだけ「エロエロ」なものに囲まれていて
「で、お前はどうなん?」って問いと答えがみどころだったかと思う。
それは調度「商業誌」において「本番行為」ってものの扱いの境界線とだぶるわけで
「エロ」を「商売」として扱っていようが、女の娘がまっ裸で走り回ろうが
「実際」に「一線」を越えることとはやっぱり抜き差しならなさにおいて違いがあるわけだ
調度「カントク」と「つもりん」の関係性がそうであるように
そういう当邦のある意味惰弱なオタクの「性」事情がいかにもそれっぽい萌え絵と
過剰な設定で露わになっていたかとおもう。
あああと、最後のはなし「Welcoming morning」も「朝の挨拶」っていう
いかにも軍国的資本主義の準備運動も「オタク的文脈」に染まっているのが
まあこの作品がどんなことを志向してたのかを善し悪しは別にして明かにしていたかと
でも実際にやってたら私なら1日で止めさせてもらうなあ、悪いけどw
蟲師 続章 第20話 常の樹 とまとめ ○
ラスボスは神樹
普段ならある人から「行動力」を奪うってのは非道い残酷な仕打ちなんだよね
「アニメーション」っちゅう「動く」ことを前提にしている世界ならなおのことで
ところが、この作品だと一応の〆のハナシでそこに「待った」をかけるわけで
まあ異常なおはなしだよね、「動いていないものも死んでいるわけではない」という
シャーマニックな世界観が「なんでもかんでも動画にする」このご時世では
いや、「何でもかんでもする」ようになったからこそ「自然」のように
動きが長期的でかつ巨大さと微細さを含んだものを扱いうるようになったのかもしれない。
このおはなしにはロボットも巨人も女の娘も僕達が欲しいものはまるで出てこない(女の娘はいるか)
ただある物語を視るっていう自分のココロの純粋なはたらきのみが残って
そしてノイズが一切ないこのおはなしは僕達の心に「汲めど尽くせぬもの」を
「蟲」を通して直にそれを伝えていると思う。
失われた未来を求めて 第12話 君のいる未来 とまとめ △(+)
ぶっちゃけると奏がやったことって佳織ちゃんの告白にちゃんと返事
したってだけなんだよねえ、という身も蓋も無さ
大宇宙の運行からすればごくごく些細なゆらぎではある
この「自分が宇宙の中心」的な傲慢と妄想も若者の特権
というところかもしれんねえ、今なら「中二病」という言葉で変換しがちだ。
まあでもこれぐらいの「シンプルな解答」が1クールの作品としては相応しく
また後腐れがないギリギリの感情が抱けるのもこれぐらいの分量かもな
一個のキャラクターが人の心に確実に住まう分量のテストって感じ
そう考えると「何気ない日常」っていう舞台設定も納得がいくし
「BAD END」(実験失敗)以外、劇的なイベントがあんましなかったのも
納得がいくというか、そんな印象。
いなくなってしまったゆいの存在を深沢さんを使ってにおわせるのがよい展開やね
彼女は多分アニメのオリキャラなんで天文学会の人等より「因果の輪」からはずれていて
かつゆいと知見だったから、もってこいだ。
そんな感じで「ゲーム原作」を「アニメ」にもってきて妙な換骨奪胎をすることなく
ゲームで伝えたかったことの一番重要な部分をキチンと伝えたようなそんなかんじ
天文学会のヒロイン達(あるいはケニーw)ともうちょっとじゃれたい人達や
「ゆいと逢える未来」とか「スフィアの謎」とかについて気になる人は
「ゲームを買ってね」ってことなんだろうね、そうすることで
アニメでいったん閉じたこの世界に「明日」また逢える、ってことなんだろう。
アカメが斬る! 第24話 アカメが斬る! と「アカメが斬る!」を斬る!(まとめ) △+
殺(や)りきったなあ、という感じでいっぱいやね
他作品が「マンガキャラの死ににくさ」っていう前提を逆利用して「死」に価値を付与
しているのをさらにオーバーフローして「死」が当たり前にあって
「生死」がほぼ「無価値」になるまで到達していたかと
そこまで来ているからこそエスデスさんの自然淘汰主義的な価値観にも
アカメの生命賛歌にもいずれにも与することができようといったところ
この「主要キャラほぼ全員の死」と「国家の転覆」ってのが奇妙な釣り合いを
とっているような気はするのよね、というか目的の達成でもってしか
彼らに報いることが出来ないっていう想いが強いかな
でもまあ、それでも「人の死」に対する「感覚の麻痺」ってのはあるかもなあ
それは「壊れてしまった」ってことではなくて(壊れるのは容易だ)
「逸脱」してしまったような、そんな感覚。そういうのが「殺し屋」ってもので
それを種々の「規制」を越えて視ている側に部分的にでも「納得」させてしまう
そのことがおそろしいと思う、この作品は正当に青少年の健全な育成に有害だった
でも
嗚呼、たのしかった
繰繰れ!コックリさん 第12話 DESTINY! とまとめ △+
あれですよね呼び出した側が呼び出された側より「壊れてる」とか
「よんでますよ、アザゼルさん」以来ですよね、それだけ当邦において
「何かを召喚する」ってのは基本的な設定になっている、ということか
あとはギャグ漫画的空気ですよね、コックリさんが「世話焼きで生活能力がある」とか
さまざまなる転倒、そういう喧噪のなかで「家族」を持たないこひなに(だって人形だから)
仮初めの家庭ができたり、時折あるシリアスな話があったり、といった具合
狗神とか特にそうだけど「モノノケだから非道い扱いでもかまわない」という
漫画的には正しい扱いが「笑い」をさそうね
ただまあ、この騒ぎは「ぼっち」が造り出したたまさかの「幻想」のような
(イケメンに囲まれて傅(かしず)かれる生活を送る)
そういう印象を時折受けることもあり、そして「幻想」だからこそ
その騒ぎはいよいよ喧しくなるというつくりになっている
いつかこひなが言っていた「普通のソース焼きそばの旨さは
色物のカップ焼きそばを食べあさった後に気づく」的なそういう
「かぷめん」と「手作りごはん」がいり混じったような「たのしいまいにち」が
現前しているとおもう、その仮初めさも時折感じさせながら。