イオセリアーニの『月曜日に乾杯!』を見た時の感動は忘れられない。あんなにも自由に生きたっていいのだ、と笑ってしまった。仕事がなくなれば旅に出ればいい。人生はありのまま受け入れて、なるようになるさ、と楽しむこと。どんなしんどいことがあってもノンシャラン(このイオセリアーニの代名詞とでも呼ぶべき言葉は、いったい誰が最初に言い出したのだろうか。的確すぎて笑える!)と受け流す。ありえないことではなく、あ . . . 本文を読む
ジョニー・トーのメロドラマなんか、あまり期待できない、と高をくくっていた。それでもアクションだけが、ジョニー・トーではないことは充分知っているし、なんでもこい! のジョニー・トーなのだが、やはり、本来の守備範囲はバイオレンス、と思っている。でも、彼には『ターンレフト・ターンライト』があるのを忘れていた。あのとてもチャーミングな映画を彼が監督しているのだ。あなどれない。本当はこの映画を見る予定では . . . 本文を読む
期待の超大作、第2部。今回はABCホールだった。少し広いのに、300席程ある客席は満杯だった。噂によると、シネヌーヴォーで僕が見た上映では100人ほどの人が入れずに帰ったらしい。100席ほどの劇場で、100人があぶれたなんて、とんでもない話だ。先日でまいったから、今回は整理券配布の30分前に劇場に行き並んだので13番で入れた。当日の配布は50枚ほど。7時からの上映なのに、朝の9時半から並ぶ、だな . . . 本文を読む
最初はなかなか面白かったのだが、肝心の祭りのシーンになると、急につまらなくなる。本当ならこのクライマックスが血湧き肉踊る、でなくてはならないはずなのに、そこがなんだか消化試合のようなのだ。そりゃぁ、これはそこに至るまでのドラマであるということは、わかっている。だが、このクライマックスですべてが爆発してカタルシスを感じれなくては、尻すぼみだ。「ただ楽しいからやる!」という、純粋でバカバカしいことに . . . 本文を読む
悪い映画ではないだろう。ちゃんと作られてあるから2時間退屈はしない。役者たちも頑張っている。TV版からの続投である阿部寛は、はまり役だし、それなりに見せ場もあるし、犯人探しも楽しめる。だが、これが映画としての醍醐味とはとてもじゃないが思えない。これはお茶の間で楽しめばいい、というレベルの仕事だ。
映画はこんな簡単なものではない。もっと混沌としていて、ぐちゃぐちゃで、痛ましい。殺人があり、犯人 . . . 本文を読む
久しぶりに有吉玉青の小説を読む。昔『キャベツの新生活』を読み、とても新鮮な感動を受けた。あの本を読んだ時には、あの1冊だけで、彼女にどこまでもついて行こうと思ったくらいだ。それからは新刊が出るのが楽しみだった。なのに、気がついたらもう、すごく長い歳月、彼女の本を読んでいない。なかなか出ない新刊にしびれを切らせて、気づくと疎遠になっていた。
先日図書館で、ふと、ア行の本棚を目にして、見たことの . . . 本文を読む
いつものタッチだから、戸惑わない。淡々とした日々のスケッチが、まるで日記のように描かれていく。今回は3人の30代になったばかりの女性たちが主人公だ。友達であるこの3人のそれぞれの出来事が、淡々と綴られていく。人間関係とかがわからないから、最初は読みにくい。でも、そこを我慢して読んでいくうちに、相互の関係性が頭に入ってきて、ドラマは立ち上がる。わかりやすい解説なんか、彼女はしない。いつものことだ。 . . . 本文を読む
読みやすい小説で、2回の仕事場への往復(2日で、ということです)で読めた。読んでいる間は楽しい。よく出来た短編集だ。7つの作品は、それぞれが「今」という時代をちゃんと描けてある。だが、その切り口はあまりに表層的で、正直言うと、これでは物足りない。でも、作者は、このくらいの軽いテイストで、まとめることを望んでいるのだから、そういう感想は彼にしてみれば、心外なことだろう。僕の好みと、作品の目指す方向 . . . 本文を読む
サブタイトルに「3月11日 午後2時46分 大阪に居た 私たちの話」とある。今回の公演日は、3月10日でなくてはならないという笠井さんの覚悟。震災をテーマにした舞台。そこから喚起される生々しいものは全面には出ない。あくまでもパフォーマンスとしてスタイルがテーマに優先する。だが、静かに彼の胸の中にある想いが伝わってくる。
舞台上、静止したままの役者、そこにモノローグが入る。もちろん静止してい . . . 本文を読む
これが森田芳光監督の最期の作品になった。信じられないことだ。『のようなもの』(81)がロードショーされた時から、ずっとリアルタイムで27本(ロマンポルノも含めて)すべての作品を劇場でロードショー時に見てきた。森田監督とともにこの30年ほどの日々を生きてきたと言っても過言ではない。誰よりも大好きな監督だった。もちろん他にも好きな監督は何十人もいる。だけど、こんなにも同じ時代を生きた、と言い切れる人 . . . 本文を読む
昨年台湾で大ヒットしたこの超大作は、今回の大阪アジアン映画祭の目玉番組であろう。2部作、計4時間34分のオリジナル・ヴァージョンが、シネヌーヴォーとABCホールで1度ずつ、計2回のみ上映される。昨日(3月13日)、最初の上映があり、劇場に行った。ギリギリで入場できたが危なかった。あと10分遅れていたなら、入れなかったことだろう。ラッキーだった。最大限の立ち見も含む超満員の熱気の中で映画を見るなん . . . 本文を読む
こういうエンタメ芝居が力を持つのは、主人公の気持ちがどこまでストレートに観客のもとに届くか否かによる。城田邦生さんはそこを見事に抑えている。しかも、見せ方も上手いから、2時間の作品を、一瞬もダレることなく、一気に見せ切る。最高のエンタテインメントをここに提示するのだ。
阿国の「踊りたい」という熱い想いが、素直に伝わってくる芝居になっている。彼女が抱えることとなる困難な状況も、わざとらしい展開 . . . 本文を読む
久々に小劇場であることの魅力が全開した芝居を見た気がする。これは新鮮な驚きに満ちた作品だ。小劇場であるにも関わらず、小さな作品ではなく、大きな作品であるというパラドックスが、本来の小劇場の魅力のはずなのに、最近は小さな芝居に安住する作品が多くて、少し寂しかった。だが、この作品はスケールの大きな小劇場演劇である。すばらしい。
ここで言う「スケールの大きな作品」というのは、すごい舞台美術を作りこ . . . 本文を読む
この小説のタイトルは『湖畔のあかり』だと思ったが、『あかりの湖畔』だった。この文を書くためタイトルを最初『湖畔のあかり』と入れたのだが、最後に写真を取り込むため検索すると、そんなタイトルの小説はなくて、『あかりの湖畔』でしょ、とコンピュターに叱られたことで、自分の過ちに気づく。主人公の名前が灯子で、それだから、そういうことになるのだろう。まぁ、そんなこと、どうでもいい話なのだが。でも、なんか気に . . . 本文を読む
石井裕也が「中年のおやじ」を主人公にした映画を撮る。前半はあまりに主人公の光石研演じる父親がわがままで,見ていて不愉快だった。友人である田口トモロヲに対する接し方も嫌だし、2人の子供たちへの対応もあれはないだろ、と思わされた。だが、だんだんこのダメ男のバカなくせに変にプライドが高くて、人と上手く付き合えないところに、共感させられるようになる。
自分の父親をモデルにした映画なのだろう。2人の思 . . . 本文を読む