ドイツの友人Uruslaから、
先にご紹介した絵葉書の後、さらに
長い手紙と写真がたくさん届きました。
前にも書きましたが、
彼女、手紙を書くのが苦でない人で、
かならず10枚くらいの長文の手紙を書いて送ってくれます。
受け手のわたしはというと、
英語でそんなに長い文を書く力も根気もなく、
さらっと返事を書くだけなのですが、
そういう関係がもう40年近く続いています。
この度の彼女の手紙の前半は、奇しくも
「わたしたちの文通がいつ始まったか」という内容でした。
彼女は、なんとわたしの手紙を全然捨てずに全部保管しているというのです。
ただ、全部を確認していないので、
遠い過去のことであやふやになっているんだけれど・・・と言いながら
「わたしたちっていつから文通していたかな」という質問が。
彼女は1979年から1980年頃かなといっていましたが、
わたしの記憶では、1976年ごろかなと思っています。
えらく昔の話になりますが、
当時、海外文通が流行ってたのですね。
ドイツ人の彼女とどうやって知り合ったのかというと、
何かの雑誌(多分、学習雑誌)の「海外文通しませんか」というコラムに
掲載されていたドイツ人の住所に手紙を送ったら、
その人にはたくさんの手紙が日本から届いてしまい、わたしとは文通できないとの返事。
そしてその人の友人を紹介されたのですが、それがUrsulaだったのです。
わたしは十代の頃、ドイツ人の彼女以外にもアメリカ人、フィンランド人、チェコスロバキア人(当時)、
オーストラリア人、カナダ人と文通をしていました。
けれど、だいたい数年で関係は消滅。
Ursulaとだけ、長年手紙のやりとりが続いてきました。
今から10数年前に、義母とドイツ旅行をした際、
旅の途中で彼女と会うこともできました。
これくらい長い間、手紙のやりとりをしていると、
幼馴染以上にお互いを知る関係になります。
こんなに長い間、絶えず手紙のやりとりをしてきた人は他にはいないですもの。
ところでCorsica島。
長い手紙の後半にはそのことが書かれていました。
彼らは、島の西部にレントハウスをしてホリデーを過ごしたようで、
ドイツから1100キロのドライブをして、フランスのToulonからフェリーでCorsica島まで。
美しい砂浜、森林、そして4、5月でも雪を被っている高い山々、外国人にとてもひとなつっこい島民の方々。
島全体の時間の流れが、大陸に比べてゆっくりで、リラックスしていて、誰も急いでないとか。
交通渋滞になっても、誰も怒っていないのが不思議と書いてました。
(日本もそうですけど・・・)
以下は、彼女が撮った写真です。
丘の上に借りた彼らの家からは、Ajaccioの街並み、後ろには高い山々という素晴らしい景色。
View from the more than 500-year-old watch tower"Tour de la Parata" Ajaccio
Corsica島の南端の街 Bonifacio
Leisure port in Propriano
その他、たくさんの家族写真も。
どれも絵葉書のように美しかったです。
一人息子のCrisは、わたしの息子とほぼ同じ年。
今後は、わたしたちの友情が息子たちにつながって行くといいなと彼女は締めくくっていました。
そうなることを願いつつ。
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昨日のお弁当作りはなし!
クラスのメンツと学食に初挑戦。
いつもは困るけれど、今回はラッキーでした。
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