(巨魁の影)
ホテルでの目覚めは快適だった。
病院や役所をめぐった柏崎での一日は、気疲れの連続であった。
一夜過ぎて、その時の疲れはほぼ解消していた。
さすがに金沢は癒しの街だった。
それもそのはず、伊能正孝の投宿したホテルは、緑の多い金沢城に近い場所にあって、空気の匂いも聴こえてくる物音も違っていた。
彼がこれから訪ねようとする村上紀久子の転居先は、金沢市主計町となっている。
フロントで市内の観光地図をもらい、ついでにここへ行きたいのだがと指で示すと、「ああ、カズエマチですね」と予想外の読み方で町名が告げられた。
「ええ、主計町って、どんな雰囲気の場所ですか」
正孝は、鸚鵡返しに目的の町名を口にし、市内のことならなんでも知っていそうな四十代のフロント係に質問した。
男はカウンターから乗り出すようにして、主計町の成り立ちを説明してくれた。
それによると、そこは昔からの茶屋街の一つで、いったん尾張町の一部に編入されたものの、その後旧町名の復活を果たして今日に至っているという。
町民の熱心な行政への働きかけで主計町の名を取り戻した実績が、全国的な町名復活機運の先駆けとなったのだそうだ。
地理的には、主計町は浅野川沿いにあって、通称「ながれ」と呼ばれている。
浅野川大橋を渡ったところには、主計町よりずっと歴史のある東山地区の「ひがし」がある。
こちらも金沢を代表する茶屋街の一つで、犀川に近い野町地区の「にし」と合わせて金沢の三大茶屋と称されているそうだ。
三地区とも風情のある格子窓の家並が並び、夜になると窓の奥から灯りが漏れ、三味線や太鼓の音が聞こえてくる。
重要伝統的建造物群保存地区に指定され、一見さんお断りの格式高さは京都の祇園と並び称される。
それでも茶屋の中には、今風に料亭やバーを経営するところもあり、一般の旅行客でも茶屋街の雰囲気を楽しめるようになっているのだという。
「主任さんも行ったことがあるんですか」
正孝が、胸の名札を見てフロントの男に尋ねると、「いやいや、とうてい私らの身分では・・・・」と慌てて否定した。
「ほう、茶屋街という場所はそれほど近づきがたいところなんですか」と、驚いてみせた。
「ですから、お客様のような方には、気楽に楽しめると思いますよ」
「どうも、興味だけはありますがね」
「タクシーで行けば、さほど時間はかかりません。浅野川大橋を渡る手前ですから、直ぐにわかりますよ」
フロント係が愛想よく教えてくれた。「・・・・男なら、一度は行ってみたいところだと仰るお客さんが多いです。石畳と格子窓と三味線と。朝はどうか知りませんが」
「いやあ、いろいろ教えていただいて、どうもありがとう」
正孝は、礼を言ってホテルを後にした。
歩きながら、今しがた聞いた情報を頭の中で反芻した。
主計町は加賀藩士の屋敷跡があったことから命名されたということで、茶屋街としては明治から昭和前期にかけて栄えた後発の地区ということだった。
茶屋の数も芸者の人数も一番少ないが、それだけに芸の磨き方には並々ならぬものがあるのだという。
(類は友を呼ぶというが、なんとなく呼び寄せられるものなのか・・・・)
正孝は、安来節の師匠と格調高い金沢芸者の落差に首をひねりながら、村上紀久子が主計町に引っ越した理由をあれこれ想像した。
芸に生きてきた村上紀久子だからこそ、こうした街並みに惹かれたのだろうか。
それとも、もっと身近で確固とした理由がそこにあるのだろうか。
会ってみれば、そうした内面の動きもある程度わかるかもしれない。
しかし、見ず知らずの男がいきなり訪問しては、村上紀久子を警戒させるかも知れないとの思いが湧き上がった。
(それに、夜が主役の街だから、彼女が姿を見せるのは遅い時間になってからだろう)
独りよがりに予想して、朝のうちに彼女の住む場所を確かめておこうと、いつもの正孝流の考えに傾いた。
浅野川大橋の袂に立って川の流れに目をやると、女川と呼ばれる通りゆったりと流れていた。
一方、主計町の方角を見ると、三階建ての木造家屋と土手沿いに植えられた桜並木が共に浅野川を覗き込んでいる。
春であれば、ライトアップされた桜の花が、古い家並と絶妙のコントラストを浮かび上がらせるのであろうが、今はあいにく秋真っ盛りである。
朝の光を受けても、桜の幹はまだ黒々とした眠りをむさぼっているように見えた。
路地と桜木の間に立てられた色鮮やかな角灯も、灯が入らない時刻には生彩を失っている。
正孝は、踏みならされた石畳の通路と、木片を無造作に打ち付けたような板壁を眺めながら、注意深く住居表示板を探した。
軒に掲げられた屋号の看板も確かめたが、もとより地番など書いてあるはずがない。
柏崎の市民課で書き写してきた住所には主計町2丁目何番地と記されてあったが、この街では近代的な標章はなるべく覆い隠そうとしているようだ。
郵便配達のおじさんにでも聞けばわかるかもしれないが、配達は多分午後になるだろう。
正孝は、仕方なく中の橋あたりまで通り抜け、左へ折れて主計町緑水苑の横を通り、大きな病院の前でタクシーを拾った。
午後まで時間を潰すことにして、百万石通りに面した喫茶店で遅めの朝食を摂った。
(あの女、今度は花街に紛れ込みやがった)
意図したわけではあるまいが、状況に迷彩を施して姿を隠す村上紀久子の行動が、虹色に光って石垣の隙間に潜り込むカナヘビを連想させた。
冷静に考えれば、彼女はあの茶屋町のどこかに居るはずなのだから、時間をかければ探し出せるはずだ。
しかし、現実には、狭い地域で連携して生きてきた主計町茶屋街で、表立って人探しなどできるものではない。
その上正孝は、村上紀久子の姿や顔を見たこともないという不利な状況に置かれている。
そして最大の難関は、時の女神が仕掛ける測り難いタイミングのズレである。
正孝は、とりあえず歩いても行ける兼六園に足を運び、ベンチに腰を下ろして寄る辺ない気持ちになっていた。
正孝自身、家庭を省みることがなかったし、逆に家庭から省みられることもなかった。
この期に及んで、なぜ自分のことなど思い浮かぶのだ。
人生において多くの戦いを勝ち抜いてきた。
おおむね思い通りの結果を手にしてきたと自負するところもある。
ところが、ここへ来てさまざまの齟齬が目立ってきた。
艶子のことといい、村上紀久子のことといい、どこか噛み合わないもどかしさを感じる。
(わしも、そろそろ・・・・ヤキが回ってきたか)
正孝は両手を頬にあて、下からゴシゴシ撫で上げた。
脂っけのない手触りに、肌の老いを感じさせられた。
福田艶子を失った痛手が、思った以上に正孝を蝕んでいるのかもしれなかった。
気を取り直して、ショルダーバッグから携帯電話を取り出した。
調査会社の滝口に、堂島について何かわかったことがないか聞いてみようと思ったのだ。
今は何かしら気分転換を図りたかったのかもしれない。
「ああ、先生。明日にでもお電話しようと準備を進めていたところなんですよ」
滝口は如才なく答え、急に声を潜めて思いがけないことを口にした。「実はですねえ、内緒で申し訳なかったのですが、先日無印のキーを一個持ち帰ったんですよ」
「・・・・」正孝は緊張した。
「いや、先生、ご心配には及びません。H様の持ち物には合致しないキーでして、おそらく貸ロッカーとか貸金庫とかの物であろうと、うちの者が判断したのです」
これなら持ち帰っても疑念を持たれることもないし、もし貸ロッカーとかであれば、期限が過ぎると運営会社に回収されてしまいますから、急を要したのですと説明した。
「ほう・・・・」
「それで先生、突き止めたのですよ。千代田区内のレンタルボックス全てに当たるつもりでしたが、案外早くたどり着けました」
「なるほど・・・・」
「いま分析中ですが、あのキーは、文字通り事件を解く鍵になりそうです。電話では申し上げられませんので、明日、詳細をご報告に上がらせていただきます」
「そうですか、わたしはいま金沢におりますが、明日には事務所に戻るようにします」
「えっ、金沢ですか。それはまた・・・・。そうですか、いや、失礼しました。では、またあすにでも・・・・」
滝口の応答が、少しあたふたしているように感じられたが、まもなく意識の中から消えていった。
(ほんとに頼りになる連中だ)
明日どのような報告が聞けるか、楽しみでもあり、新たな展開が不安でもあった。
「よし、わしもこのままじゃ帰れないぞ」
正孝は言葉に出して、弱気になりがちの自分を叱咤した。
午後一番にやったことは、主計町に近い住宅街で見かけた郵便配達の青年に、村上紀久子の届け出た住所地を示して、どのあたりの家か尋ねたことだった。
青年は面倒くさそうにメモを覗き込んだが、「ああ、そこは浅の家の寮じゃないかな」と、得意そうに答えた。
「へえ、さすがにプロは違うわ。何度行ったり来たりしてもわからなくてねえ。いや、助かりました、ありがとう」
速達の配達で急いでいたらしいのだが、正孝の反応に気をよくして少し話に乗ってくれた。
「あの地区は増築が多いし、住居表示も目立たないようにしているので、 僕たちだって暗記するしかないんです」
「そうですか。老人がいくら探してもたどり着かないはずだ」
正孝が心からほっとしたような表情を見せたので、郵便配達の青年はにこっと微笑み、ヘルメットをかぶり直した手を軽く挙げて走り去っていった。
肝腎の転居先はどうやら判明したが、寮とあってはますます訪ねづらくなった。
村上紀久子とすれば、身に覚えのない事柄で追跡されているようなもので、とつぜん正孝が現れたら何事が起こったのかとパニックを起こしそうな状況だった。
それでも夕方を待って、再び主計町を訪れた。
この時間帯になると、そぞろ歩く観光客の姿が目立つようになる。
風情のある木造家屋を背景に写真を撮ったり、浅野川の築堤を背にポーズを取ったり、若い女性たちの華やいだ声が狭い路地を渡っていった。
正孝は、あたりを注意深く観察しながら、「浅の家」の看板を探していた。
茶屋そのものは、川沿いの並木の間に立つ角灯にぼんやりと照らされていて、いかにも大正ロマンを感じさせる風情を保っている。
派手な電飾に彩られた金沢の中心部と比べてみれば、ここは郷愁を誘うような場所なのだ。
表通りを流してみたが、頼みの角灯にも「浅の家」の屋号を見つけることができなかった。
已むなく一本裏手の路地に入ると、長屋のようにびっしりと連なる木造家屋が、狭い通路を挟んで前側の区画の建物を見上げている。
さらに後方の小道に入ると、急な階段を登って二階部分の裏口に至る通路があったりする。
どの家も一様ではなく、昔からの地形に合わせて建て増ししたり、改築を繰り返してきた名残りが見える。
主計町の狭い区域は、そうした工夫と同業の固い絆によって維持されてきたのかもしれない。
それだけに、主計町を訪れてみて、村上紀久子がこの地に居を移したということが何より不思議だった。
(よそ者が入り込む余地など、全くないはずなのに・・・・)
郵便配達の青年が「寮ではないか」と教えてくれなかったら、今でも疑問のままだったに違いない。
もっとも、青年が寮と表現したのは、たぶん置屋のことだろうと頭の中で置き換えている。
いかに元芸者でも、この場所で生きるすべは下働きぐらいしかないだろうとも思っている。
そうしたことをあれこれ考えながら、正孝は、好奇心旺盛な学生風の一団の後から、付かず離れずの位置を保って置屋らしき建物を探し続けた。
「おい、暗がり坂の方へ行ってみようか」
前方から学生たちの話す声が聞こえてきた。「・・・・あそこの石段は、なかなか風情があるって聞いたぞ」
「おう」
誰かリーダー風の学生が言った言葉に、連れの若者がすぐさま同調した。
正孝も一人置いていかれるのを避けて後を追おうとしたとき、動き出した学生たちの正面から、ひと組の男女が近づいてきた。
すれ違った瞬間、正孝の背筋を電流が走った。
即座に面を伏せたが、男は忘れもしない電力業界の巨魁に違いなかった。
相手はおそらく、騒がしい学生の一団を避けることに気を取られていて、正孝の存在には気づいていないはずだ。
株主総会の雛壇に並んでいた人物と、総会の様子を偵察に行っただけの人間とでは、自ずから人相の覚えも違う。
その後、薫風社発行の業界誌で伊能正孝が張った原発批判のレポートに腹を立てたとしても、すれ違っただけで顔を認識できるほど執着するとは思えなかった。
(やれやれ)と、正孝は胸をなでおろした。
ほっとすると同時に、いくつかの疑問が湧いた。
政界の暗部にも首を突っ込んでいると云われるあの男が、なぜこんなところにいるのだ。
それに一緒に歩いていた着物姿の女性は、何者だろう・・・・。
地味だが高価な紬の印象が、正孝の記憶をザラつかせた。
なぜかは分からないが、五感を超えたところで正孝に囁きかけるものがあった。
(つづく)
(2016/04/11より再掲)
自分も数年前に金沢城へ行きました。
主計町。。。カズエマチは読めないですね。
核心を告げる男女との出会いでしょうか。。。
金沢城はいいところですよね。
今ごろだと雪吊りが見られるのかな。
主計町は何回でも読み方を間違えちゃいます。
今回を含めてあと5回で最終です。
いよいよ核心に迫ります。
ありがとうございました。