初物
モロッコいんげんの初物を今日収穫した。
種豆さえ蒔いておけば誰にでもできる丈夫な作物だから、不精な男でも毎年欠かさずつくっている。
五月に蒔いて、二ヶ月半でもう食べられる。
輪作に気をつけることと、蔓を這わせるサオを立ててやるぐらいで、ほとんど手間がかからないから続けられる。
五つばかり採って、味噌汁の具にした。
豆がまだ膨らむ前の柔らかい莢が歯にあたる。筋もな . . . 本文を読む
蝉の恩返し
ソローの『森の生活』に憧れたことがあった。
ウォールデン池のほとりを拠点に、アカリスやふくろうなどの小動物、トウヒや水草など樹木がみせる生命のきらめきを、季節の移ろいとともに淡々と描いた作品だった。
森自体が暗い印象を与えていたかもしれない。
作者の質素な生活ぶりが、隠遁者的なイメージをともなって、読者には少々堅苦しく感じられたような気もする。
それでもウ . . . 本文を読む
都会の猫と田舎の猫
いつだったか、吉祥寺に近い『むらさき橋通り』の信号が青になるのを待って、猫が悠然と道路を渡っていくのを見たことがある。
敏捷に走り抜けたわけでなく、人間が歩くような速度で通り過ぎて行く。
こちらは赤信号で止まっているクルマの中だから、シャムの雑種と思われる黒猫が明らかに信号機のシステムを理解し信頼しているとしか思えなかった。
昔は、クルマに轢かれた猫の . . . 本文を読む
それぞれの退場
休暇が終われば出勤してくる人間に、課長はなぜ電話をかけてきたのだろう。吉村は、熊本から帰ってきたばかりの疲れた頭で考えていた。
(契約のことで、また不備でも探し出したのか)
それとも、辞めさせることができなかったので他局へ放り出す算段でもしているのか。
蒲団にくるまっても真意が分からないために苛立ちを感じていた。
となりの部屋では、久美と乳児が休んでいる。何 . . . 本文を読む
密息
その日仕事から戻ると、課長から局長室へ出頭するよう申し渡された。
「すぐにですか」と問い返すと、事務処理を済ませてからでいいと歯切れの悪い言葉が付け加えられた。
何事だろう。頭が高速回転をしている。集金カードの集計が覚束なくなるほど気になった。
(こんなときこそ密息だ・・・・)
いつか雑誌で読んだ気功の記事が頭に浮かんだ。
もともとは高僧が修行のなかで会得した呼吸法 . . . 本文を読む