野風が死んだのは、黒四吟行から帰って二カ月後のことでした。 力道山が刺されて大騒ぎをしていた最中でしたので、ことのほか印象に残っております。 野風は自動車での長旅が堪えたものか、家に戻ってからはずっと臥せっておりましたが、しだいに体力が衰え気力も萎えて、終日うつらうつらと過ごしておりました。 喉を通るものといえば、私がこしらえる重湯や葛湯、それに林檎のしぼり汁程度でした。 近所の西松医院からもら . . . 本文を読む
評判の黒四ダムを見たいと野風が言ったのは、十月に入って間もなくのことでした。 近ごろは体調のせいもあって山行きの機会も減っておりましたが、ダムまではともかく湯治を兼ねて立山方面への吟行を試みることになりました。 メンバーは野風主宰の俳句雑誌『石心』の同人数名、松本、諏訪、塩尻などに在住する男たちが、北アルプスの山ふところに抱かれた秘湯の一軒宿に参集したのでした。 もちろん私も買い替 . . . 本文を読む
人の嗜好はさまざまですが、俳人木戸野風の水好きは少々度を越していたのではないかと思います。 私は野風の運転手兼弟子として、彼の吟行にはたびたび同道してきたのですが、しだいに高じる水への執着に主人への懸念が膨らむのを抑えることができませんでした。 野風がいつ頃から水に憑かれ始めたのか、私もよくは知りません。 私が雇われた時、彼はすでに水好きであり、庭の井戸から汲みあげた水に何やら黒い . . . 本文を読む
ソバの花
(城跡ほっつき歩記)より
神田神保町の路地裏に江戸時代から続くそば屋があるたしかめたわけではないから表通りを ちょんまげ姿の侍やてんびん担いだ魚屋が急ぎ足で行き交ったかはわからないそれはともかく 昭和の終わりを見届けて平成の年号を戴いたのは めでたい限りだ神田神保町の路地奥で同人雑誌の発送を終えたあと米寿に近 . . . 本文を読む
『辺見庸の起承転結』
とりあえず辺見庸の出発点は、共同通信社の記者時代にあった。
彼自身が述べているところによれば、入社したのは「父親も新聞記者で、ある意味、知らない職業ではなかったから」ということである。
当時、反体制の若い人たちの間では、「まともに就職するヤツはおかしい」と思われていた時代で、入社したことについて安心感と同時に失意もあったという。
入社早々支局の . . . 本文を読む
ヤマユリ
(城跡ほっつき歩記)より
あの山百合は どこへ行ったのだ去年はじめて 日陰に咲いた懊悩の花
庭先をわたる風に乗って ぼくを誘惑した魅惑の匂いどこへ消えたのだ 娘盛りの山百合よ 人目に付いたら 幾多の危険にさらされる分かっていたのに 次の季節へ委ねた
春のうちに 山百合の寝床は荒らされぼくを挑発するように 黒々とし . . . 本文を読む