どうぶつ番外物語

手垢のつかないコトバと切り口で展開する短編小説、ポエム、コラム等を中心にブログ開設20年目を疾走中。

思い出の連載小説『<おれ>という獣への鎮魂歌』(40)

2023-08-31 00:33:31 | 連載小説
 その夜、隣人は帰ってこなかった。 何があったのだろうと考えて、おれの眠気も吹っ飛んでしまった。 明け方になって、とろとろと眠ったようだったが、なんとも不快な気分で目覚まし時計に起こされた。梅割り焼酎のげっぷが突き上げてきた。 二日酔いというほどではないが、胃の調子が悪いのは確かだ。湯で薄めた牛乳と共に、胃腸薬を飲んで家を出た。 しばらく顔を合わせていなかった紺野が、新たな事務所開設の挨拶を兼ねて . . . 本文を読む
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思い出の連載小説『<おれ>という獣への鎮魂歌』(39)

2023-08-30 00:00:20 | 連載小説
 その日は、午後から大学に行くアルバイトの写植オペレーターと入れ替わりに、懸案の『こども相撲大会』用チラシ作成に取り掛かった。 こどもの日の前日、五月四日の縁日を開催日としているから、それほど、のんびりとはしていられない。 おれは、レイアウトを考え、写植を打ち、台紙を作り、その夜のうちに貼りこんだ。 出来上がった版下を元に、校正用の清刷りを作り、翌日、巣鴨地蔵通り商店会会長宅を訪れた。 前もって連 . . . 本文を読む
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思い出の連載小説『<おれ>という獣への鎮魂歌』(38)

2023-08-29 00:05:04 | 連載小説
 なにを言うのかと、不満もあらわに、立会いの係官を振り返った。「しゃべらなくても、会話をしているんです・・」 きびしく思いを口にしながら、声を荒げなかったことで、なんとか治まりは付きそうだと直感した。 年恰好をみても、看守と呼ばれる職業に就いて、かなりの経験を積んできたはずの男である。制帽の下の表情は判らなかったが、定位置で平然と立っている姿勢からは、おれの言葉に、ことさら反応した様子は見られなか . . . 本文を読む
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思い出の連載小説『<おれ>という獣への鎮魂歌』(37)

2023-08-28 01:48:00 | 連載小説
 綾瀬駅で降りると、東京拘置所までの道順が矢印で示されていた。降りてみて、初めて、おれの乗ってきた電車が、地下鉄千代田線との共用車両であることを知った。 このところ、国鉄と私鉄の相互乗り入れが進んでいて、利用者には便利になったわけだが、むかしの知識や経験にとらわれている者には、すんなりと理解しがたいところもあった。 再編を進めて、効率化を図る。 世の中、大胆に仕組みを変えて、より利潤を追求していく . . . 本文を読む
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思い出の連載小説『<おれ>という獣への鎮魂歌』(36)

2023-08-27 00:13:00 | 連載小説
 おれは、机の上の原稿をじっと見つめた。 紺野は、彼なりの感覚でチラシのレイアウトを考えたのだろうが、きのう暗室で乾燥させていた印画紙を思い出すかぎり、飾り文字の選び方、変形文字の組み合わせ方なども、いかにも平凡で面白みに欠けていた。 見出し用の書体ひとつを取ってみても、もっと柔軟に考れば、子供たちの躍動する姿にぴったりのものが選び出せただろうにと、まだ目に残っている文字列の数々を検証していた。  . . . 本文を読む
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思い出の連載小説『<おれ>という獣への鎮魂歌』(35)

2023-08-26 05:44:35 | 連載小説
 たたら出版で、写植を打ち、冊子の編集を手伝い、営業にも力を注ぎながら、おれはミナコさんとの面会のチャンスを探っていた。 渦中の自動車内装会社の所在地から見当を付け、巣鴨署を尋ねると、管轄は大塚署だと教えられ、その足で護国寺に近い大塚警察の殺風景な窓口を訪れた。 入口で、六尺棒を突いて来署者を威圧する武闘服姿の警官は、いずこにあっても似たような体型をしていた。いきなり暴漢に刺されても、肉の厚さで致 . . . 本文を読む
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思い出の連載小説『<おれ>という獣への鎮魂歌』(34)

2023-08-25 02:02:45 | 連載小説
数日後、おれのもとに二人の刑事が尋ねてきた。 ミナコさんについての詳しい状況は教えずに、ミナコさんとおれの関係について、ひたすら聞き出そうとした。 気に障るような質問も厭わず、ただただミナコさんの犯罪が、おれに起因しているのではないかという見込みで、動いているようにみえた。 おそらく、刑事たちの頭の中には、昨年の秋ごろ世間を騒がせた『滋賀銀行女子行員9億円詐取事件』の概要があったのだろう。 あのと . . . 本文を読む
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思い出の連載小説『<おれ>という獣への鎮魂歌』(33)

2023-08-24 12:01:00 | 連載小説
 アパートに帰り着くと、さすがに疲れを覚えた。 病み上がりの身には、きょう一日の出来事はきつ過ぎた。 ミナコさんの消息が、こんなかたちで明らかになろうとは、想像もしていなかった。心の隅に、安堵に似た気持ちが湧いていたが、大きな愕きに圧倒されて、思考の道筋を辿れないでいた。(ミナコさんは、いま、どこにいるのだろう?) 新聞を確かめると、宮城県警によって身柄を拘束されたらしい。 東京に居られず、ふるさ . . . 本文を読む
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思い出の連載小説『<おれ>という獣への鎮魂歌』(32)

2023-08-23 16:37:00 | 科学
 あの男は、素人ではあるまいと睨んだ。 人のいいチンピラか、組に属さない日陰者だろうと結論付けた。 上京したてのミナコさんが引っかかったインチキ芸能プロダクションの男よりは、ずっとマシなのではないか。彼の話が嘘でなければ、自分の腕が腫れ上がるほど仕事に打ち込む、見上げた根性の職業人なのである。 それにしても、楽に見える商売ほど苦労は多いのだと悟らされた。おれは、マンダ書院で味わった半端者の悲哀を思 . . . 本文を読む
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思い出の連載小説『<おれ>という獣への鎮魂歌』(31)

2023-08-21 00:25:25 | 連載小説
 翌朝、おれは、ふらつきながら家を出た。朦朧とした意識のなかで、たたら出版への執着がおれを衝き動かしていた。 会社に着くと、社長の多々良に、たちまち最悪の体調を見抜かれた。 誰が見ても憔悴した顔付きだったから、見抜かれたというより、気付いてもらうための出勤といってもよかった。「いやあ、これはひどい」 多々良は、おれの額に手を当てて診断を下した。「・・すぐに、病院へ行ったほうがいい」 おれは、社長が . . . 本文を読む
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思い出の連載小説『<おれ>という獣への鎮魂歌』(30)

2023-08-20 02:45:35 | 連載小説
 次の日も、その次の日も、連絡はとれなかった。 おれは、焦燥の真っ只中に置かれていても、たたら出版への出勤を止めることはなかった。 理由は判っていた。 一字、一字、写植の文字を打ち込んでいる瞬間だけは、苦しさを忘れていることができたからだ。 それでも、昼休みの休憩に入ると、おれは信号ひとつ分、九段下方向へ歩いて、雑貨屋の角にある電話ボックスまで、電話をかけに行った。 何度ダイアルを回しても、受話器 . . . 本文を読む
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思い出の連載小説『<おれ>という獣への鎮魂歌』(29)

2023-08-19 07:30:16 | 連載小説
 翌週、おれは、たたら出版に出勤し、残業も含めてくたくたになるほど働いた。 ミナコさんが会社を辞めることになれば、アパートの家賃をはじめ、ふたりが当面暮らしていくための生活費を確保しなければならない。 中野のアパートは、狭いとはいえ二部屋あり、バストイレ付きの所帯用だから、おれの給料から捻出するにはなかなか大変な金額だった。 自動車内装会社社長をあれだけ痛めつけたのだから、ミナコさんは当然辞めるこ . . . 本文を読む
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思い出の連載小説『<おれ>という獣への鎮魂歌』(28)

2023-08-17 00:05:15 | 連載小説
 おれは、暴力で打ちのめされたものが、容易に立ち直れないことを知っていた。マインドコントロールなしには、ボクサーでさえ無理なはずだ。それが、恐怖というものだ。 だが、万が一ということもある。おれは、奴の目を覗き込みながら、耳に息がかかるほど口を近付けて、コトバを押し込んだのだった。「おまえ、赤ちゃんプレーが好きらしいな」 奴の耳元で囁いた駄目押しの効果を、推し量った。切り札が、完全におれの手に移っ . . . 本文を読む
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思い出の連載小説『<おれ>という獣への鎮魂歌』(27)

2023-08-16 00:01:18 | 連載小説
 一月末の引越しを念頭に、おれは段取りをつけることにした。「今度の休みの日に、荷物の下見に行ってもいいですか」「そうねえ・・」 ミナコさんは、ためらいを見せた。「大きなものは、みな処分するつもりなんだけど」 できるだけ、おれの手を煩わせたくないという気持ちは、わからないわけではなかった。「・・でも、引っ越しって、なかなか考えた通りに行かないものですよ。こっちも狭いところだから、何をどこへ置くか、多 . . . 本文を読む
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思い出の連載小説『<おれ>という獣への鎮魂歌』(26)

2023-08-15 00:00:05 | 連載小説
 イノウエの話を聞いているうちに、おれの中ではひとつの結論が出ていた。「こうなったら、別れるしかないな」 何分かあとには、そう答える自分の姿が目に浮かんでいた。 おそらく、イノウエも離婚を念頭に置きながら、おれに背中を押してもらいたくて、今日ここに来たのだろう。 どのように取り繕ってみても、いったん目覚めさせてしまった怪獣は、もう押さえ込むことなど出来ないのだ。 おれは、マンダ書院で一緒に働いてい . . . 本文を読む
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