(クダンの母)
駅長『たま』の話題が出ると、寿々代はすかさず「でも~」と不満をあらわにした。
「一日中、帽子をかぶせられて可哀想じゃない? 人間の都合で、可愛い、可愛いって騒ぐけれど、猫にとっては大迷惑よ」
「でも、見てるとあんまり迷惑そうでもないんだよなあ。けっこう気に入ってるんじゃないですか」
「そうかしら。うちのダイヤだったら帽子なんかかなぐり捨てて、とっ . . . 本文を読む
(恋焦がれ)
父が亡くなったとき、葬式が始まる一時間ほど前に、一匹の揚羽蝶が迷い込んできた。
少し汗ばむ季節で、喪服を着た葬儀社の男も、親類の参列者も、庭からひらひらと入ってきた大型の蝶に気を呑まれていた。
(仏さんになる前に、あいさつに来たのかな・・・・)
少しでも父のことを知る者は、蝶の飛来の仕方に曰く言いがたい暗示を感じ取っていた。
川を挟んで山 . . . 本文を読む
(春めぐり)
天候不順というのか、寒暖の激しい春であった。
前日との気温差10度はめずらしくなく、天気予報をこれほど真剣に見たのも珍しいことであった。
そうした中、サクラ開花のあとの好天を選んで野川を自転車でさかのぼった。
昨年も見事な花を見せてもらったので、自然に足が向いたのだ。
半日で天気が崩れる予報があり、日差しのある午前中に出発した。
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(やもめの墜落飛行)
誘いこまれるように映画出演を果たした家主の老人は、年齢のわりには筋肉質の体をさらして好色な作家の役をこなした。
信じられないことだが、一つの役を与えられることによって、日常のしがらみが伸びきったゴムのように足元に脱け落ちるのを感じることができた。
先祖伝来の地主としての威厳、健全な家族構成を保ってきた体面、自らが生きてきた戦中戦後の記憶、 . . . 本文を読む