喜市は、夏が一番好きだ。
川漁師の父親とともに、近くの沼で雑魚や小海老を採り、また、さまざまの仕掛けを使ってライギョやウナギを獲る。
きらめく夏の日々は、喜市にとってわくわくする時間の連続であった。
昭和二十年代の半ば、喜市が小学五年生になった頃のことである。沼の北西で、事件が起こった。
それは新聞に載るほどの出来事ではなかったが、ふだん平穏な生活に慣れている村人に、めったに無い話題を提 . . . 本文を読む
茅葺き民家に出合った
武蔵野の一画に残る『茅葺き屋根』の家・・・・。
散歩の途中で見つけて以来、写真を一枚撮らせてもらいたいと思っていた。
狭い街道に面した個人のお宅で、カメラを向けることに多少躊躇があった。
しかし、門扉も無く堂々と入口を開けているし、拒絶の気配は微塵も感じられない。むしろ、文化遺産級の建物を維持していることに誇りさえ感じられる。
いまどき大量の茅を調達 . . . 本文を読む
海と空との間には
海と空との間には
水平線がありました
水平線のその先に
苦い思い出ありました
赤く沈んだ太陽の
ヴェールのような夕焼けと
黒く分厚い夕闇が
苦さを包んでおりました
思い出は過去?
「NO」・・・・違います
ますます「NOW」・・・・に近づいて
ズキンズキン . . . 本文を読む
展望風呂から海を見る
長いこと山暮らしをしていたせいか、正月早々海を見たくなった。
首都高速道路、京葉道路を乗り継ぎ、大網白里をとおって鴨川まで房総の海沿いドライブを試みた。
思い立ったのが午前10時過ぎ、午後3時ごろにはホテルの立寄り風呂に入れるかと見積もりしていたら、なんと東浪見(とらみ)の先で地魚の昼食を摂りながら予定より一時間も早くホテルに着くことができた。
以前は . . . 本文を読む
初詣は深大寺で
東京に戻ってあわただしく新年を迎えた。
都会には都会の波長があって、どこかのんべんだらりが合っていそうな気がしていたが、コタツに足を突っ込みながらもシャンと気を入れる場面があった。
正直のところ暮れのテレビ番組には皆んな飽き飽きしていたはずだが、大晦日の紅白歌合戦で『おふくろさん』を聴いたときは、思わず居ずまいを正した。
主として格闘技を観ながら、ときどき紅 . . . 本文を読む
利口な小鳥たち
動物の中には、なかなか知能の高いものがいて人間を楽しませてくれるが、近頃ますますそのような種が増えて、ペットの幅が広がってきたような気がしている。
中でも鳥類の能力には、かなりの驚きを感じている。野生のままなら当然の能力として受け入れてしまうのだが、人間と触れ合う機会が増えて予想もしない発見があるようだ。
虫たち、とりわけアリやハチの作り出す世界は別格だ。独特 . . . 本文を読む