「暫時は滝に籠るや夏の初」
この句は日光を訪れた芭蕉が[裏見の滝」で詠んだ。
江戸時代後期の浮世絵師 渓斎英泉(1791-1848)による日光山名所浮世絵 "日光山名所之内 裏見ヶ滝"というのがあるらしいが江戸時代前期の松尾 芭蕉 ( 寛永 21年 - 元禄 7年 (1694年 〉とは時代が重ならない。
裏見ヶ滝は日光三名瀑のうちの一つで、滝の裏にある洞窟にしばらく籠っている . . . 本文を読む
「萩原や一夜はやどせ山のいぬ」
芭蕉は旅の途中で萩の枝の下に潜り込むようにして野宿したのだろう。
紙子〈紙でできた防寒具〉を頼りに蓑などの寝具にくるまり萩ごしの月を眺めていた気がする。
「草臥れて宿かるころや藤の花」の句もそうだが野宿はしょっちゅうだったんだなあと老体へのダメージを考えてしまう。
ところでこの句の注目点は「山のいぬ〈犬〉」では . . . 本文を読む
「無き人の小袖も今や土用干し」
芭蕉は史上もっとも有名な刀工を念頭にこの句を詠んだ。
村正〈むらまさ、初代の生年は文亀元年(1501年)以前)、通称千子村正(せんご むらまさ)は、現在の三重県桑名市で活躍した。
千子派は六代以上あり、中でも右衛門尉村正(文亀・永生頃(1501–1521年頃)に活躍)と藤原朝臣村正(大永・天文頃(1521-1555年 . . . 本文を読む
「あらたふと青葉若葉の日の光」
芭蕉が旅の途中で目にした日光の山々は、初夏のみずみずしい青葉若葉で覆われていたのだろう。
奥の細道の初めのころの作で目に映る風景が日の光を受けて輝いていた。
もちろん掛詞ではあるが、そうした常套句を陳腐かさせないのが「あらたふと」と敬虔な思いを隠さない芭蕉の率直さであろう。
蕉風の基本に数えられる<わび・さび・ . . . 本文を読む
「しばらくは花の上なる月夜かな」
関東地方は3月下旬にはサクラの開花予報が出ている。
高めの気温が続けば4月を待たずに満開になる。
千鳥ヶ淵や北の丸公園は例年花見の客でごった返す。
芭蕉の目の前にはサクラだけがある。
今を盛りと咲き誇る桜の花を上空から月が照らしている。
季節的にまだ寒さを感じる夜更け、月光を受けて満開の櫻花が輝いている。
見る者は芭蕉 . . . 本文を読む
「閑さや岩にしみいる蝉の声」
この句もよく知られている。
奥の細道の中でもトッップ10に数えられる名作だ。
若いころ山寺を訪れたことがあるが、岩と樹木で覆われた急な階段を登りつめると遥か下方に今降りたローカル線〈仙山線〉の駅が見えた。
芭蕉が登ったころは階段途中の出店もなかっただろうから、一歩一歩足元を確かめながら登ったのであろう。
昇りつめてふと気が付く . . . 本文を読む
「雲雀より空にやすらふ峠かな」
(ひばりより そらにやすろう とうげかな)引用した解説によれば、<意味>は峠の風に吹かれていると、下の方から雲雀 の鳴く声が聞こえて来た。なんと雲雀より 高いところで休息しているのだなあ。 雲雀は雀よりやや大きく褐色の地味な色を しているが、鳴き声が良く、高空をさえず りながら飛ぶ。雲雀が鳴く高いところより 上で休息しているので . . . 本文を読む
「むざんやな甲の下のきりぎりす」
タイトルは奥の細道に収められた芭蕉の句「むざんやな甲の下のきりぎりす」から取った。
当時は「きりぎりす」は「こおろぎ」をさしていう言葉で現在の「キリギリス」は「はたおり」と呼んだようだ。
ここに登場する甲〈かぶと〉は敵将・斎藤実盛の首に涙した義仲が、多太神社に兜を奉納したという史実が句の背景にある。〈義仲=清和源氏の祖〉
また「むざんやな」 . . . 本文を読む
「あけぼのや白魚白きこと一寸」
この句は「のざらし紀行」に典拠する。
「まだほの暗きうちに浜のかたに出でて」との前詞がある。
鋭い感覚的な句であり、桑名の東郊、浜の地蔵堂で詠まれた。
「白魚」は一般的には春の季語であるが、この句では「白魚一寸」として冬に
扱った。初案は「雪薄し・・・・・」であったが、雪の白と白魚の白とで印象
が分裂する . . . 本文を読む
「行く春や鳥啼き魚の目に涙」
あまり知られていない句を二回続けたので今回は誰でも知っているが句の意味がイマイチ理解しづらい作品を取り上げた。
この句が読まれた状況は、芭蕉がいよいよ奥の細道の旅に出発するのを俳諧の弟子たちが見送る場面である。
この時、芭蕉は40歳だから45歳の没年から考えると最晩年に近い。
当時、未開の東北地方〈失礼〉を徒歩で旅するということ . . . 本文を読む
「山里は万歳遅し梅の花」
芭蕉の作品の中ではあまり知られていない句を取り上げた。
三河万歳という伝統芸能は昭和の初めごろまでは残っていた。
新年になると各家の戸口に立って縁起のいい万歳を披露し祝い金をもらう。
実入りの良い都会を先に回るので辺鄙な山里へやってくるのは梅の花が咲くころになる。
ちょうど今頃~3月初旬の時期になろうか、それでも山里の村人は万歳を迎えてめでたい気 . . . 本文を読む
「荒海や佐渡によこたふ天河」
この句は松尾芭蕉の俳文「銀河の序」に掲載されている。
日本海の荒波を隔てて、流人の島佐渡が島が横たわり、天の川がそのうえにかかっている。
七夕の夜だから空の二星〈牽牛・織女〉も年に一度逢うと言い伝えられているが、島に流された人々は、どんな思いで故郷を偲び、あの星を仰ぐのだろう・・と感慨にふけっている様が想像される
ところが別の . . . 本文を読む
五月雨を集めてはやし最上川
このところ芭蕉の出身地「伊賀の里」にこだわったので今回は「奥の細道」に戻り初夏の季語からよく知られた名句を取り上げた。
句意は「降り続く梅雨の雨を一つに集めたように、何とまあ最上川の流れが速くすさまじいのだろう・・と、感嘆の思いを吐露したもの。
酒田の寺島彦助亭で、歌仙の発句として作ったとのこと。
別の解釈では「(ようやく夕方に . . . 本文を読む
「鶯や柳のうしろ藪のまえ」
今回は新年にふさわしい芭蕉の名句を探しました。
鶯は春を代表する季語で本来は旧暦の1~2月〈新暦3~4月〉を言いますが、待ちきれずに登場させました。
低地を好み人間の近くに生息している鳥なのになかなか姿を見せてくれません。
前に歌舞伎の名科白の項目で「ほんにお前は〇のように・・」を紹介しましたが、鶯もまた歌舞伎に登場する盗賊のように声だけしか聴 . . . 本文を読む