〇 レアメタル 採掘拒否も すぐ折れた〈ゼレンスキー大統領]〉
〇 軍事費の ねこばばバレて 帳消しか〈バイデン米大統領時代の旧悪〉
〇 トランプは すかさず付けこみ 味方顔〈戦争を止めさせたと吹聴〉
〇 こっちにも よこせとプーチン 利権ねだる〈近々米ロ会談の予定〉
〇 ドナルドと ウラジーミルの 脅迫仲間〈ファーストネーム . . . 本文を読む
ぼくが読んだ幻想小説をもう一編紹介しよう。
その作品はニコライ・ゴーゴリの「死せる魂」である。
ニコライ・ヴァシリエヴィチ・ゴーゴリ(1809-1852)は、ロシアに初めてリアリズム文学を確立した人物として知られている。 代表作には、「鼻」、「外套」、「検察官」、「死せる魂」などがあり、いずれも独特の人物描写が印象的な作品になっている。
「死せる魂」は青空文庫で無料で読めるの . . . 本文を読む
タゲリという野鳥がいる
名前が面白いからいろんなことを想像する
この野鳥は田圃を歩きなながら
足で表面を蹴って水中昆虫を慌てさせ
浮き上がったところを
ウマウマと啄むんだろうな
実際はどうなんだろう
調べてみるとドンピシャリではなかった
北印旛沼や牛久沼では
稲刈り後の田起こしした田圃で採餌する
足 . . . 本文を読む
「むざんやな甲の下のきりぎりす」
タイトルは奥の細道に収められた芭蕉の句「むざんやな甲の下のきりぎりす」から取った。
当時は「きりぎりす」は「こおろぎ」をさしていう言葉で現在の「キリギリス」は「はたおり」と呼んだようだ。
ここに登場する甲〈かぶと〉は敵将・斎藤実盛の首に涙した義仲が、多太神社に兜を奉納したという史実が句の背景にある。〈義仲=清和源氏の祖〉
また「むざんやな」 . . . 本文を読む
〇 白米が 恋し懐かし コメ高騰
〇 居候でなくとも 三杯目は そっと出し
〇 お代わり自由 そんな時代もあったのに〈昭和・平成〉
〇 大盛めし あったればこそ 大盛り上がり〈何杯食べたか競い合った〉
〇 コメ操る 流通業者に タックルだ〈ラグビー部員〉
〇 食レポも 味のことより 量のこと
. . . 本文を読む
「あけぼのや白魚白きこと一寸」
この句は「のざらし紀行」に典拠する。
「まだほの暗きうちに浜のかたに出でて」との前詞がある。
鋭い感覚的な句であり、桑名の東郊、浜の地蔵堂で詠まれた。
「白魚」は一般的には春の季語であるが、この句では「白魚一寸」として冬に
扱った。初案は「雪薄し・・・・・」であったが、雪の白と白魚の白とで印象
が分裂する . . . 本文を読む
トニー・ベネットの歌も知らないのに
なぜかニコニコ顔が目に浮かぶ
鼻が大きくて声に艶があるから印象深い
そうだ「思い出のサンフランシスコ」は大好きだ
シナトラよりもトニー・ベネットだ
ゆったりしていて懐が深そうだ
亡くなったのは残念だが96歳まで長生きしたらしい
孫子に囲まれて幸せな人生を送ったと思う
晩年にはレデイー . . . 本文を読む
〇 兵庫県知事アドバイザーのPR会社に司直の手が入った アーソレソレ 公職選挙法違反の立件ができるのか ソレカラドーシタ 神戸県警・検察のメンツもあるから何とかするのだろう
〇 兵庫県知事斎藤さんは相変わらずの平身低頭 アーソレソレ 一方で裁判に訴え県民の支持受けたと開き直る ソレカラドーシタ 選挙参謀のPR会社と首突き合わせ総べてはボランティアと言い張ることにする
  . . . 本文を読む
「行く春や鳥啼き魚の目に涙」
あまり知られていない句を二回続けたので今回は誰でも知っているが句の意味がイマイチ理解しづらい作品を取り上げた。
この句が読まれた状況は、芭蕉がいよいよ奥の細道の旅に出発するのを俳諧の弟子たちが見送る場面である。
この時、芭蕉は40歳だから45歳の没年から考えると最晩年に近い。
当時、未開の東北地方〈失礼〉を徒歩で旅するということ . . . 本文を読む
ぼくが読んだ小説の中でもう一度読んでみたい作品が数編ある。
「香水・ある人殺しの物語」はその一つだ。
パトリック・ジュースキントの小説で、18世紀のフランスを舞台に展開する物語だ。
超人的な嗅覚を持って生まれた孤児ジャン・バチスト・グルヌイユの生涯を描いた作品で、著者の初の小説作品。
1985年の刊行以降シュピーゲル紙のベストセラーリストに316週連続で載り . . . 本文を読む
〇 「きのうはちゃんと豆撒きしたか」「えっ、ご隠居あっしに言ってるんですか」
〇 「いや、そっちの青いの二人だ」「それじゃ、やっぱり孫とあっしのことを言ってるんだ・・」
〇 「おまえ青鬼になって、豆を投げつけられていたじゃないか」「かみさんまで一緒になって豆をぶつけてくるんですから堪りませんよ」
〇 「我慢しろ、天気予報の兄さんによれば明日にな . . . 本文を読む
「山里は万歳遅し梅の花」
芭蕉の作品の中ではあまり知られていない句を取り上げた。
三河万歳という伝統芸能は昭和の初めごろまでは残っていた。
新年になると各家の戸口に立って縁起のいい万歳を披露し祝い金をもらう。
実入りの良い都会を先に回るので辺鄙な山里へやってくるのは梅の花が咲くころになる。
ちょうど今頃~3月初旬の時期になろうか、それでも山里の村人は万歳を迎えてめでたい気 . . . 本文を読む