法事というものが、どんな意味を持つのか、モトコは深く考えたことがなかった。 田舎では、どこの家でも村のしきたりに従って坦々と進めていたから、祖母が死んだ時も母は滞ることなく行事を済ませていったような気がする。 奥様の四十九日が済んで、次は一周忌だと、頭の中で漠然と考えている。 いや、その前に新盆がやってくるから、そのとき大掛かりな供養を営むことになるのかもしれない、と思い直したりする。 . . . 本文を読む
住み込みの女中が、急な用事でも思い出してトシオを呼んだのだろうか。 モトコは、半信半疑の迷いのなかで、女中部屋まで確かめに行こうかと身を起こした。 「いま誰か、ぼくのこと呼んだ?」 トシオが目をこすりながら、モトコに訊いた。 「坊ちゃまにも、聞こえたのですか」 モトコは、やはり自分だけの空耳ではなかったと安心する一方、不審の思いがつのって確かめずには置けない気持ちになっていた。 「坊ちゃま . . . 本文を読む
奥様が亡くなったことは、モトコにも不思議な喪失感をもたらした。 当座は、まだ意識の表面に現れていなかったが、トシオの入学先が決まってホッと安堵した心の隙をついて、その感覚は忍び入ってきたのだ。自分の費やした歳月のあやふやさも、表裏をなすように意識されるのが辛かった。 このままでは済まないと、モトコは思った。 坊ちゃまをきっぱりと奥様にお返しし、そのうえで、自分は亭主との関係を見直してみなけ . . . 本文を読む
奥様が亡くなったのは、お屋敷を取り巻く樹木の葉が、黄色や紅に色付き始めた十一月の初めだった。 坊ちゃまを産んで、なかなか出血が止まらず、入院が長引くうちにとうとうベッドから離れられなくなってしまったのだと、モトコは聞かされていた。 旦那様は、たまに見舞いに行っているらしかったが、坊ちゃまを奥様に近付けることは、それとなく避けているようすが窺えた。 あれは、坊ちゃまが三歳になった夏のことだっ . . . 本文を読む
待合室で心配するモトコに、トシオの診断結果がもたらされたのは、四十分ほど過ぎたころだった。
「お母さま、どうぞお入りください」
看護婦が、白衣の前で長い指を重ねるようにして、首を傾けた。
「いえ、わたしは母親では・・・・」
言い訳する暇もなく、診察室に招き入れられた。
診察台に半身の態勢で固定されたトシオの横に、白髪の老医師が坐っていた。モトコの方を振り向いた拍子に、頭に着けた反射鏡がきら . . . 本文を読む
トシオの耳の穴に虫が飛び込んだと大騒ぎになったのは、六歳の夏のことだった。板の間で昼寝をしているとき、何の虫かはわからないが、かなりの大きさを持った虫が一匹耳の中に飛び込み、奥の方でごそごそと這い回っていると泣きだしたのだ。 大声でわめくトシオのようすに、添い寝していた乳母のモトコはびっくりして飛び起きた。心臓をドキドキさせながらも、預かった坊ちゃまの身に何が起こったのかと、事の顛末をはっきり . . . 本文を読む