関東大震災の場合もそうだが、地震のさなかに身を置いていた者には、時がたってから後の、事実の記録は、決して経験そのものではなかった。
そこに、歴史の事実が、必ずしも個人の経験と一致しないという、「叙述された歴史の不真実性」というものがあることに気づくであろう。
④ 暴動の噂
「暴動」の噂は、昌造の経験としては、かなり早かった。すなわち、9月1日の夜には、町の一部の「暴動民」の噂は、早くも伝わっ . . . 本文を読む
歴史の叙述では、大正12年9月1日午前11時58分44秒、震源地は、東京から約80キロ離れた相模湾の北西部で、市内本郷台において88.6ミリメートル、下町(東京の)においてこの一倍半ないし二倍の振幅の激震が起こったと伝えている。
しかし、こうした科学的な数値が、地震の規模や恐怖をどれだけ伝えられるのかと問うと、やはり、個人の被災体験に勝るものはないと、この報告は述べている。
③ 地震の後
傾 . . . 本文を読む
たまたまかもしれないけれど、天変地異が起こる前の天候とか世情は、普段以上に穏やかだったりする。
(ちなみに、東日本大震災(2011年3月11日)が発生した東北地方(仙台)朝9時の天気は、晴れマークがついている。)
なんの意味もないことだが、昌造の手記を読みながら、天候のことが妙に印象に残った。
② 地震の前
待合の女性と共に助かった昌造は、つくづく運がよかったと振り返る。
<その前の晩は . . . 本文を読む
壊滅的な被害をもたらした関東大震災は、大正12年(1923年〉9月1日の正午近くに発生した。
来年、ちょうど100年目を迎えるのに合わせ、一足早く当時の体験記を掘り起こし、庶民の戦きに触れることも無駄ではないと思いこの稿を起こした。
日々どこかで大地の揺れが速報され、時には震度5強程度の地震が記録されるが、われわれは地震慣れしているせいか、さほど脅威と感じていないところもある。
学者や自治体 . . . 本文を読む
キウイ
秋は実りの季節 だが
厄災の季節 でもある
いざ収穫と心待ちしていた その日
とつぜんの気絶で 収穫されかけた
くら~い くら~い 明るい
気持ちいいだろう と ピコ太郎が笑う
これはきっと リスの仕業にちがいない
隕石に見せかけて 両手でツブテを投げたのだ
しばらく病院に閉じ込めて その間に果肉を食 . . . 本文を読む