どうぶつ番外物語

手垢のつかないコトバと切り口で展開する短編小説、ポエム、コラム等を中心にブログ開設20年目を疾走中。

残しておきたい記録(関東大震災〉その4

2022-02-08 15:13:10 | 体験記

関東大震災の場合もそうだが、地震のさなかに身を置いていた者には、時がたってから後の、事実の記録は、決して経験そのものではなかった。

そこに、歴史の事実が、必ずしも個人の経験と一致しないという、「叙述された歴史の不真実性」というものがあることに気づくであろう。

④ 暴動の噂

「暴動」の噂は、昌造の経験としては、かなり早かった。すなわち、9月1日の夜には、町の一部の「暴動民」の噂は、早くも伝わってきていて、余震を怖れて屋外に野宿している人々の、男たちの多くはさすがに大したことではあるまいと判断したのにもかかわらず、女たちは、その噂にかなり怯えさせられたのであった。

<しかし、九月四日に至って、昌造がいよいよ逗子に向かって発つというときには、「暴徒の騒ぎ」は一段とひどくなっていて、ことに神経質になっていた昌造の兄などは、猟銃を持ち出してきて、昌造に、ぜひ持っていくようにと勧めたりするほどになっていた。そして、西に向かっていく昌造にとっては、進むにつれて、破壊された道路の困難に加えて、「暴徒」そのものよりも、暴徒騒ぎで気のたっている自警団の存在があった。彼らは、自転車に乗った市民が、次々の訊問にうんざりして、突っ走って駆け抜けようなどとすれば、手にした竹槍を素早くギヤの間に差し込んで、乗り手を転落させたりしたが、昌造などでも、わるくすると、抜き身を手に持った、血の気の多そうな若者に囲まれて、しつこい訊問を受けなければならなかった。そして昌造は、神奈川の入り口のあたりでは、「まきざっぽう」よりも無造作に積み重ねられた被害者(日本に居住の朝鮮の人たち)三、四人の死骸をみた。それらは烈しい日差しの下で、暗紫色の水袋のようにふくれあがり、羽音だけでもすさまじい、銀蠅、青蠅が群がっていたのだった。>

  (つづく)

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