たまたまかもしれないけれど、天変地異が起こる前の天候とか世情は、普段以上に穏やかだったりする。
(ちなみに、東日本大震災(2011年3月11日)が発生した東北地方(仙台)朝9時の天気は、晴れマークがついている。)
なんの意味もないことだが、昌造の手記を読みながら、天候のことが妙に印象に残った。
② 地震の前
待合の女性と共に助かった昌造は、つくづく運がよかったと振り返る。
<その前の晩はいい月夜であった。逗子のうちへ帰るつもりの昌造が、終列車に乗りおくれて、おそく「沖津」へきたときには、普段は昌造がそこを仕事場にしている土蔵の中の一間の方では、せっかくの月が見られないからと、待合の女性が、その夜の席を別の棟の二階に移して待っていた。そこで月を眺めながら雑談に時を過ごして、それから昌造は、1回分の、新聞の小説を書いて、そのまま、いつもと違うその部屋に寝てしまった。もし、いつものとおり、土蔵の二階に寝ていたら、おそらく、もろにつぶされてしまっていただろうし、たとえ、移った臨時の部屋でも、月見で夜ふかしをしないで、地震のときにすでに起きていたら、あるいは逃げようとして、はしごの下で、つぶされていたに違いなかった。だから昌造が、この大震災に九死に一生を得たのは、いわば、「お月様のお陰」であった。・・・・>
こうした偶然が、この突発した天変にあたって、どのくらい多くの人々の生死を分け、運命を左右したことであろう。・・・・これもまた、昌造の述懐である。
(つづく)
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