ムーアの城壁を見たあとは、ふたたび巡回バスに乗ってペーナ宮殿へ向いました。
ここは小高い山の上にあるので、バス停のところから宮殿の入り口まで往復2ユーロのバスがあります。
かなりの坂なので、体力温存のために乗りました~(^益^)
楽して到着w(^^)w 色鮮やかなこの宮殿、まるでインター横の(*´`*)ホテル…。
それにしても、バックの青空が映えます。夏の日差しは強いけれど、空気が乾燥しているので爽やかです。
このペーナ宮殿は、19世紀のポルトガル王フェルディナント2世が作らせたものです。
この王様、かの有名なノイシュヴァンシュタイン城を作らせたドイツのルートヴィヒ2世のいとこにあたります。私はそちらをまだ訪れたことがありませんが、森のなかに建つ幻想のような美しさと壮大さとをあわせ持つあの「白鳥城」は、文句なく世界でもっともすばらしいお城のひとつでしょう。
このペーナ宮殿は、ドイツから建築家を呼び寄せて作らせたもので、フェルディナントはいとこと張り合っていたのでしょうか。ご覧の通り、イスラム、ゴシック、ルネッサンス、マヌエルといった各様式のごった煮にようなけばけばしい造りです。私は完全に失敗作だと思っています(^益^;
ところで中世から近世に至るまでのヨーロッパは、現在のような「国家」という概念があいまいで、むしろ王侯貴族の家系があちこちにちらばり、その身分制度による支配が行なわれていました。
このフェルディナント2世の父親はドイツのザクセン家という君主の家系で、母親はハンガリーの名門貴族出身です。さらにフィルディナントはイギリスのヴィクトリア女王の従兄になっており、またベルギー国王レオポルド1世の甥にあたり、ブルガリア王フェルディナンド1世の伯父さんにあたります。こんなん覚えられないですよね^^; とにかくヨーロッパ全体にまたがって、王侯貴族たちは一大ファミリーを形成しており、あっちこっち分家して領主となっていたのです。
フェルディナント2世も、このペーナ宮殿の様式と同じ様に「ごった煮」の血が流れていたというわけでしょうね。
ゴブリンが出窓を支えています。「ごくろーさん」と声をかけたら返事をしそう(^益^;