さて釧路から根室へ向かいます。日本で一番東にある根室を起点に、西へ北海道を
横断する路線を「根室本線」といいます。しかし根室から釧路までは廃線になる可能性も
出てきていますので、そんときゃ名前をどうするのでしょうか。とりあえず釧路から
根室までを「花咲線」と呼んでおります。
ホームに入ると人が多い。いつもはガラガラなのに、いまは夏だからかー。いや、
観光列車の「ノロッコ号」が止まっているからだ。
客車は窓が解放されています。以前には汽車が走っているのを見たことがありますが、
それは冬だけのようです。
私が乗るのはこちら。1両編成。冬にはちらほらとしか乗客はいませんでしたが、
さすが夏で「道民割」なんてのをやっているせいか、なんと満席。途中からは
座れない人たちもいました。長いのになあー。早めに来たのですが、ノロッコ号の
写真なんか撮ってて危なかった。みなさんまずは席に荷物を置いてから写真を撮ったり
していたのでしたw
海みたいでしょ。しかしここは厚岸湖。牡蠣がたくさん採れるのです^^
おわー、カモメさんたち。
みなさん、滅多に通らない列車が通過して、驚いて飛び去って行くのです。
海水湖とはいえ、ぐるりと陸地に入っているので水面は実に穏やか。
この景色が右側に見えるのを知っていたので、席は右側の窓際に♪
おー、牛。
こんな景色を見ると、北海道に来たな~という気がします。ちなみにしばらく冬ばかり
来ていたので、久しぶりにこういう緑を見ます。
冬の北海道は厳しい寒さですから、やっぱり夏はいいなあ^^
根室もだいぶ近づいてきて、ここは手前の落石(おちいし)というところです。
根室からの帰りに寄る予定です。
おう、モーモーちゃんたち。コロナで給食がなくなり、牛乳の消費が減って大変だと
聞きましたが。。。
おー、馬。
というわけで、根室に到着。初日の昨夜は飲んだだけだったから、ついに旅が始まった
気がします。
ランドーの冒険記1 ランドーの生い立ち
アーノルド・ヘンリー・サヴェッジ・ランドー(1865-1924)は、英国人ですが
イタリアのフィレンツェ生まれです。おじいさんが少し名の売れた作家で、少し裕福な
英国人にありがちですが、フィレンツェで暮らしていたのです。
ランドーは15歳でパリの美術学校に行き、絵を学んでからアメリカ、日本、韓国、
チベット、中国、ロシア、インド、ペルシャ、フィリピン、エチオピア、ブラジルと
まさに世界中を旅した人です。行った先で絵を描き、旅行記を記しました。
イギリスではヴィクトリア女王に招かれて冒険の話をご披露したとか。
さてこれからランドーの日本旅行記、Alone With The Hairy Ainu Or, 3800 Miles
On A Pack Saddle In Yezo And A Cruise To The Kurile Islands.(1893)
(毛深いアイヌの土地にひとり行く:それは蝦夷地を荷鞍をつけた馬で6000キロ、
そして千島列島への船の旅である)という本をご紹介していきます。彼はまだ20代の
若者でした。
その前書きにはこのように書かれています。「どうして蝦夷に来たかって?それは
楽しみと休息を求めてのことだったが、どちらも得ることはできなかった。」
どうやら予定していたのんびり旅行とはいかなかったようです。さてさてどんな旅
だったのかな~? (^益^)w