さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

花咲港で花咲ガニを食う ランドーの冒険記2

2022年09月27日 | 北海道シリーズ


根室駅でとりあえず観光案内所に行く。納沙布岬に行くには路線バスもあるが、
半日の観光バスもあるという。それは明日にしようと思うが、まもなく花咲港に行く
バスが出る。歩いて10分の予約してあるホテルに荷物を預けに行く時間はない。
何せバスは2時間に1本ほど。しかたなく駅のコインロッカーに荷物を入れてGO!


乗ってしまえば15分ほどで花咲港に到着だ。寂れているぞ~w
さすがロシア領(こっちの政府は日本固有の領土と言っているが)が肉眼で見えるような
日本の一番東にあるエリアだけに、ロシア語で「案内所」と書いてある看板が。しかし
営業している様子はない。いまは喧嘩状態だしね。。。


あ~こういう木造の建物好き。ロシアでもこういう建物があったなあー。


さて昼なので、唯一営業している食堂に。店先にカニが並んでいるぞー。


いいお値段ですが、せっかく花咲に来たのですから奮発して花咲ガニを注文!


写真撮影を済ますと、このように切ってくれます。


刻んだ筒状になった足に割りばしを突っ込むとニュッと身が出てきます。トコロテン
方式です。小ぶりなタラバガニのような味と食感です。毛ガニのほうが私は好きですが、
花咲ガニは滅多に食えませんからね♪


せっせと食べても軽く30分以上はかかりました。簡単に身がニュッと出てくるのも
ありますが、透き通った平たいヘラのような骨に身がはりついていたり、足先の細い
ところや少々曲がっている関節のところはそう簡単には身が出てこない。割り箸を
突っ込んでゴシゴシ頑張らなければいけません。貴重な身だからなあー。


思いのほか時間を食ってしまった。少し港を歩く。なんて書いてあるのかな?


花咲ガニ密漁が横行していた時代には港は賑やかだったそうですが、今や対ロシアに
ピリピリしているので、それははるか昔のこと。


いまはこじんまりして、少し寂しい港です。


む、「友情の確かな証し 四島返還 北方領土は日本固有の領土です」なんて書いて
あります。大国のロシアと日本の境界線にある島々。そこにはアイヌ民族がずっと
住んでいました。虐待されたり強制労働で酷使されたり、移住を強制されたりしてきた
原住民は、こんなセリフを見てどう思うでしょうかー。


食堂が朽ち果てています。港の目の前なのに、廃墟と化していました。


これも3階建てなのになあー。崩壊する前に片付けるという体力もないかー。


ランドーの冒険記2 いよいよ蝦夷地の旅がはじまる

ランドーは函館にやってきた。おそらくは横浜で入国してから、船に乗ってやって
来たのでしょう。函館の風景は、丸く囲まれた湾のまわりには山がそびえ、その美しい
景色は、まるでジブラルタルみたいだ」と言っています。

当時の街の様子は、「紙で出来た壁とタイルの屋根の家が並んでいて、とても素敵」と
感動しています。漆喰の壁に瓦屋根を見て、こんなふうに表現するんですねえ。

「何人かの「Musume」(女の子)が「Kimono」(ガウン)を着ていて、油紙の傘をさし、
木靴を履いてとぼとぼと歩いているぞ」。20代の青年ですから、そりゃあ女の子に目が
行くでしょう~。着物に下駄というのは、さっさと歩くようには出来ていません。
むしろ簡単には逃げられないようにと工夫されていると読んだこともあります。西洋人
から見れば、そりゃあ印象的な装いでしょうねェ。

函館には英国人がいました。ここは外国に対しての開場港だったので、宣教師などがいた
のです。その人に会い、ランドーは蝦夷地を一周するという予定を話しました。すると
その英国人はひどく驚きました。

ここ(松前藩)を離れると、道もなくアイヌという汚い人しかいなくて熊ばかりだ。
旅をするのは無理で、まったくもって無謀な計画。それにそんなやせた体じゃきっと
死んでしまう。それはあまりにも馬鹿げてると諭されます。

しかしランドーのほうはやる気満々。そんな助言は聞き入れず、荷物はそこにいた
イギリス人に預け、絵の道具、日記、簡単な衣類、拳銃と弾丸だけで、食べ物もテントも
持たずに北海道一周の旅に出たのでした。そりゃあ俺でも無謀だと思うなあー。