下の椅子は鹿の角と革? 写真に写っているアイヌ民族の表情がいい。おととし
白老に出来たウポポイという国立アイヌ民族博物館を見に行きました。そこはおそらく
ウン十億円もかけた巨大な施設。建物は立派、ガラスケースも立派、映像施設も立派、
きれいな民族衣装を着たアイヌの(?)踊りもありました。でも、「生きていない感」
を強く感じました。
しかしこの萱野氏の資料館は、莫大なお金はかけていないけれど、アイヌ文化を
残していきたい、民族の生きた歴史を消してはいけない、という心を感じましたよ。
明治政府はアイヌを侵略・搾取しました。
- アイヌの土地の没収
- 収入源である漁業・狩猟の禁止
- アイヌ固有の習慣風習の禁止
- 日本語使用の義務
- 日本風氏名への改名による戸籍への編入
こんなあからさまな人権無視があったのです。そこで「北海道旧土人保護法」という
表面上はアイヌを保護しようというすごい名前の法律ができました。それが改正を
重ね、萱野氏によって廃止提案されて「アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に
関する知識の普及および啓発に関する法律」に改正されたのは1997年、平成になって
からだったのです。
萱野氏は彫り物もやっていたのですね。
きれいな博物館の立派なショーケースに入れられているよりも生活感がありました。
DVDが見られる部屋があり、受付にお願いするとアイヌに関するドキュメンタリーや
TV番組、萱野氏が出てくるアイヌを紹介する映像などDVDを出してくれて、自分で
操作して見ることができました。13時頃にここに到着し、16時頃のバスが戻る
最終バスなので時間が限られていましたけれど、2つほど作品を観ましたよ。
なかでも印象的だったのは、萱野氏のお父さん、おじいさんの思い出話。おじいさん
には指が一本ありませんでした。当時和人はアイヌの男たちを奴隷として強制連行し、
鮭を獲らせました。その扱いがあまりにもひどく、何年も家に帰してくれなかったので、
おじいさんは大怪我をして働けなくなれば家に帰してくれるだろうと思って、自分で
指を切り落としたのです。そのときは「なんだそのくらい。塩でもまぶしておけ」と
言われたそうですが、その後具合がどんどん悪くなり、ついに返されたのです。
アイヌは鮭を大事な食料としており、自分たちが生きられるだけの漁をして大切に
考えていましたが、和人は獲れるだけ獲るので数が減り、アイヌには獲るなと命じ
ました。飢えた家族を養うため、お父さんは夜に隠れて鮭を獲り、子供たちにそっと
食べさせましたが、それが発覚してある夜に巡査がやってきて連行されました。
そのときにはいつくばっていたお父さんの目から、片目がなくなっていたのですが
そのないほうの目からも涙がぽろぽろとこぼれるのを見て、萱野氏は「大人もこんな
ふうに泣くんだ」と思ったそうです。
資料館には別館もありました。農機具などの道具があるとか。
きれいに整理して陳列する余裕はないようです^^;
樹齢ウン百年?
奥のほうは進めない状況でした^^;
時間に余裕があれば、たくさんあるDVDを全部見たかったですねェ。
旧マンロー邸というのが近くにあるので行ってみました。ニ-ル・ゴードン・マンロー
博士は英国人考古学者・人類学者で、昭和の時代にアイヌの生活風俗研究のために
ニ風谷に移住し、研究の傍ら医者としての奉仕活動に生涯を捧げた人だそうです。
静かな森の奥に、こんな立派な洋館がありました。このお屋敷にマンローは住んで
おりました。いまは北海道大学文学部二風谷研究室になっており、一般公開はされて
いません。
というわけで平取に戻ります。バスで15分ほどですが、歩くには遠すぎる。しかし
バスの本数を見て下さい。下りは一日一本。上りは15:56が最終。ここにはもう
ひとつ町立の博物館があるのですが、時間がないのでそれは明日にまた戻ってきます。
バス停の中に灰皿があるではないか。
平取という小さな町には宿がほとんどない。選択肢もなく泊ったところは9000円も
する3つ星ホテル(?!)だというのに、共同トイレ、共同風呂、エアコンなし。
でもいい。カプセルよりはるかに快適だw ただ工事現場の労働者グループが同じ
フロアに泊っていて、その連中が部屋のドアを開けたままで行ったり来たり。そして
騒ぐ騒ぐ。まるで中学生の修学旅行みたいだ。フロントに電話して注意してもらおうと
思ったが部屋に電話はなかった。夜8時以降は人がいないとかだったしw
でも遅くなったら翌日は早くから仕事だから(?)静かになってくれました。。。
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