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さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

鹿児島へ

2014年03月02日 | 九州シリーズ



鹿児島駅前です。今回の旅も、とうとう最終地へ到着してしまいました。宿には
スパ施設がついていて、街中でもちゃんと広い湯舟に浸かれます(^益^)b



夜はうなぎを食うことにしました。鹿児島はうなぎを一番消費する県なんだって?
うなぎで有名な人吉では老舗の店に入ったのですが、つい朴葉焼きを選んでしまい、
味噌の味が強すぎて、やっぱりうなぎらしいうなぎを食っておかないと~と思った
のでした。



幸い宿から歩いて行ける距離にそれなりの店がありました。



おお、うな重といっても、こんなふうに別々になっている。むか~し清水で「うな重の
上」と頼んだら、こんな形で出てきて印象的でしたが、立派なやつになるとご飯の
上に乗って出てこないのか?

  

ホテルへの帰り道、大久保利通の像が立っておりました。薩英戦争の後始末で
英国と講和をまとめ、西郷隆盛と薩長同盟を結んで明治維新をやらかした立役者。
西欧列強の植民地になりそうな状況だった日本を富国強兵によって大国となる
レールを敷いた人。貫禄があって立派で、暴走しがちな人たちを抑えて国の運営を
切り盛りできる頼れる大人物。金には潔白で、公共事業には私財を出すほど。
家ではやさしいお父さんだったとか。

う~~ん、すんばらすい!


しかしこの私が、歴史上の人物をただ賛美して終わるわけはない、と思った人は
これまでだいぶ読んでくれた人! (^益^;

その時代のなかで、最良と思われたことを最大限に実現できた人かもしれません。
しかし社会の出来事、歴史というものは複眼的に見なければなりません。明治
維新で彼が行った「版籍奉還」は、江戸時代の諸大名から土地を取り上げて
天皇に返す(この言い方もスゴイね)というもの。クーデターですからw そして
「廃藩置県」は今につながる領土の制定ですが、当時の琉球王国はヤマトの国
から一方的に吸収合併されたわけで、あちらから見れば「侵略者」と言える
でしょう。それは今も続いています。理不尽な扱いも続いているんです。

そこで思い出したのが、北海道は札幌にあったクラーク博士の像でした。なんか
観光地になってますよね。「少年よ、大志を抱け!」と言ったといわれる教育者。
大久保利通とほぼ同世代なのです。銅像の雰囲気まで似ているぞ。クラークは
明治時代に札幌農学校(今の北海道大学)で自然科学全般を教え、日本の近代化
に貢献したのです。米国の名門校で教えていたのに、当時は僻地だった札幌に
わざわざやってきたのは、キリスト教徒としての強い宗教的使命感だったのか?
農学校の教頭をやっていたとき、開拓使長官(つまり政府)に
対して「この学校には
規則はいらない。『紳士であれ』のひと言で十分だ」と答えたそうです。

う~ん、すんばらすい!


スカ~ス!(やっぱりね^^;)

当時の北海道には、アイヌをはじめとする原住民族がたくさんいたのです。江戸
幕府が倒れ、仕事や地位を失った武士たちの多くが新しい土地を求めて北海道に
移住したのですが、それまで住んでいた原住民は追っ払われたわけです。その
人たちから見れば、ヤマトの連中が次々に移住してきて、その開拓・開発の指導を
しているのがヤマトの連中に雇われて米国からやってきたクラークというわけで、
そりゃあ侵略者の手先だ。クラーク自身が立派な人格者でも、侵略されるほうから
すれば、そんなのかんけーねー!です。

つまり、大久保利通にしてもクラーク博士にしても、「立派」ということは否定しま
せんが、「そうは見えない」という見方をする人たちも否定できないってことです。

こういった人たちは、圧倒的多数に尊敬・賛美・心酔される人々で、そんな立派な
人たちにケチをつけたりしますと「てめーは口だけで何もしてねーだろよ」と罵倒
されたりします。でも、そういった別の面も見ようとする「はずれ者」が、私は好き
なんだなぁ~^^ 

そういった人たちの話はまたの機会に^^;



この日はあまり酒も飲んでないので、ホテルに帰ってラウンジでコーヒーを飲みました。
そこは全面禁煙でした…。   _| ̄|  (((〇



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