さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

ニッカ 余市蒸留所

2014年10月11日 | 北海道シリーズ



靴底がはがれてペタンペタンと情けない音をたてながら、ワイナリーからウィスキー
蒸留所にやってきました。なんだか酒を巡る旅。



寂しい田舎町なのに、ここには結構な数の観光客がおりました。あとで知ったの
ですが、連ドラの「マッサン」の舞台になるということで、人気急上昇なんだとか。



ここにはむか~し来たことがあります。その後、同じニッカの宮城峡蒸留所には
2度訪れていますので、なんとなくなじみ深い気分。よろしければ左の「仙台シリーズ」
からそちらの様子をご覧下さい。(^益^)b



キング・オブ・ブレンダ―ズの肖像。なんか昭和の香りがしますよねェ。



ものすごく硬くて重い樽でも木で出来ているわけですから、何十年も寝かせておくと
香りが豊かになって味は深味が増しまろやかになりますが、樽の下のほうにしか
残らないとか。



蒸留に使う銅製のポットスチル。こちらでは世界でもまれな石炭直火で蒸留する
とか。この製法が力強くて熟した果実のような香りのモルトウィスキーを作るん
だってさ。



創設者の竹鶴さん、スコットランドでウィスキーの製法を学んできたといいますが、
日本に戻ってから、1からこういう設備を作って運営するのは大変な努力と苦労が
あったことでしょう。

連ドラの「マッサン」、最初ちょっと見てみましたが、名前が「亀山さん」になって
いました。鶴だから亀かあ~~w(^益^)w


余市ワイナリー

2014年10月10日 | 北海道シリーズ



旧福原漁場から、バスはないし歩ける距離でもないのですが、偶然タクシーが
目の前を通ったので乗り込み、あっという間に余市ワイナリーに到着できました。



ここは20年以上も前に一度やってきました。観光バスで来たせいか、すっかり
記憶にない。きっと建物も変わり、全く変わった雰囲気なのではないでしょうか。



こんなオサレなレストランがあるんですからねー。しかし公共交通機関はないし、
みなさん車で来るのでしょうから、ワイナリーなのに運転手は飲めないんでしょ?

左の赤は「ツヴァイゲルトレーベ樽熟」、右の白は「ケルナーシュールリー」。
小樽バインで覚えたドイツ系の葡萄種。迷わず一番イイやつを注文(^益^)b



なんかスパゲティだとピザだの、イタリア系の料理でした。ドイツ系の葡萄なんだから、
ドイツ料理ってことはないのかー。

食事のあとには、土産品売り場に行く。飲んで旨かったのを送ってもらうかぁ。

ワイナリーだからテイスティングをさせてくれるわけですが、気になるお値段の高い
やつは出しておらんで、手頃なやつを勧めてくるもんで「一番高いやつを3本くれ!」
と殿様お買い物。



というわけで、左は飲んでなかった「アルモノワール」。ノワールというくらいだから、
たしかに黒味がかった濃い色合い。カベルネソーヴィニヨンとツヴァイゲルトレーベを
交配した品種だそうで。するとだいぶコクがあるのかな?

説明によれば、フルーティーでタンニックということですが、ちょっと酸味が出過ぎてて
深味に欠ける感じ?

それよりも、ケルナーシュールリーは香り豊かで、ツヴァイゲルトレーベ樽熟は日本
ワインとは思えないほどの重厚感とまろやかなコク。フランスやイタリアワインには
ない新鮮な芳香があります。今回の旅の一番の収穫ですねー^^



というわけで、ほんのり酔っ払って帰り道を歩き出す。駅まで遠いので歩いている
やつはいない。



途中で線路に出る。最寄りの駅は余市だ。



ここで靴が変だな、と気がつく。長年履いていたスニーカーの底がベロンとはがれた。
ねー、いまは困るよー!たしかにオンボロ靴を履いてくるのが悪いんだけど、
よりによって田舎道を延々と歩かなきゃいけないときにこうなるかなー!

「一番いいワイン3本ね!」と豪気な買い物をした私ですが、靴などはこんなふうに
なるまでいつも同じ靴。服は一度買うと擦り切れるまで10年20年と着るし、おそらく
カナ~リ一般の方々と使い道が違うのではないか、と最近感じておりますw



ペラン、パタン、ペラン、パタン♪と情けない音をたてながら歩いていると、葡萄畑が
ありました。これがワインになるんだねー。



このとき携帯電話が鳴りました。私の携帯は月に一度鳴るか鳴らないか。ちなみに
ガラケーで月に2000円使いません。これだけでも毎月ちょっといいワインが飲める
でしょ?

さてかけてきたやつはいきなり「さきち・さん、今度飲みましょうよォ」ときたもんだ。
「余市ワイナリー、と地図で検索してみろよ。いまそこから駅まで歩いているんだよ」と
返事をしてやりました。すると彼はしばらく意味がわからないのでした^^;



しばらくすると街道に出ました。バス停があったので見てみると、13時24分のやつは
行ってしまったので、次は17時24分の最終ですね。。。 歩くしかないよ^^;

ペラン、パタン、ペラン、パタン・・・♪


旧余市福原漁場の文書庫

2014年10月08日 | 北海道シリーズ



こちらは福原漁場の干場。鰊から取った数の子や白子を干した場所です。



こちらは文書庫。貴重な書類や調度品などが保管されていたそうです。大人数を
雇い、大規模に交易をしていましたから、経理も大変だったことでしょう。



中に入ってみると、当時の品々が陳列されていました。漁場の資料などではなく、
むかし懐かしの写真や本、日用雑貨などです。



手塚治虫の「流星王子」は古本屋ですごい値段になっているでしょう。「清水次郎長」、
「寛政豪勇力士伝」とはすごいタイトルですね~^^



「隠密ゆうれい城」(^益^)b 「蛤姫」…(*´д`*)ハマグリ



下の段で、「少年のちから」、「お父さんの御褒美」、「頑張り源さん」、みんな読んで
みたいよーw



「月影四郎」はラブロマンスなのか?学生が女の子抱きしめてるぞ‼ 見たひー!



何気に紀州のみかん箱。弁財船が運んできたのかなー。北国では貴重だったで
しょうねえ~。



というわけで、福原漁場はなかなか見ごたえがありました。

さて駅まで歩いたら小1時間。次に見たい余市ワイナリーは、駅から山に向かって
小1時間。あちらにはバスはないらしひ。
どうしましょ。。。



とりあえずバス停まで行ってみる。どれくらい待つのかな?と思って歩いていると、
目の前に空車のタクシーが通りました。よくまあこんな誰も歩いていない、というか
人影もない海沿いの街道に空車が!
というわけで、「余市ワイナリーまでお願いします」と乗り込んだのでした^^


余市湾 過去の栄光

2014年10月07日 | 北海道シリーズ



こちらは旧福原漁場の石蔵です。鰊粕や身欠き鰊などを保管していたとか。



中に入ると、当時の漁に使った道具などが展示されていました。



鰊漁は、こんなふうにして二艘の船が網を垂らし、鰊の大群をガサッと捕まえた
のです。よく持ち上げられたなぁ~。

鰊の大群が産卵のために押し寄せるのは「群来」(くき)と言われ、白子で海が白く
なることは前に書きましたね。

むかしは毎年来ていたのですが、鰊はだんだん減って、昭和29年が最後だった
そうです。余市川の河口まで大群が押し寄せて、子供たちがつかみ放題だった
そうです。



弁財船(またの名を北前船)の模型がありました。これは18世紀になった頃、
北陸地方の港を根拠地として北海道から日本海沿岸を九州まで渡り、瀬戸内海に
入って大阪まで交易に当たった商業船なのです。(山陰・北陸日本海」シリーズの
富山のところでも取り上げました)

「廻船問屋」って、時代劇でよく出てくる名前ですよねえ^^



最初は帆船でしたが、明治の頃に蒸気船になり、余市湾には数十隻も停泊していた
ときがあったとか。

新潟の米を大阪に運び、そちらからは北海道で売りさばく酒、砂糖、味噌、醤油や
日用雑貨品を仕入れたとか。そしてこちらからは身欠き鰊や、鰊を搾った魚粕を
積み込み、日本中に運びました。これは農業の肥料になったのです。

そして明治に入り、輸送手段はより確実な鉄道に代わられ、弁財船は消えて
いったのです。



鰊を加工した大きな道具も展示されていました。


旧余市福原漁場

2014年10月05日 | 北海道シリーズ



この日は小樽を離れて余市へ遠足の日。電車に乗って30分程だったでしょうか。



余市の駅前は予想通り、人通りがあまりありません。訪れようと思っていたのは、
旧福原漁場、余市ワイナリー、ニッカウヰスキー醸造所といったところです。ニッカは
駅前すぐですが、あとのふたつは遠い。

旧福原漁場へは、海岸へ向かって歩くと1時間くらいかかりそう。余市ワイナリーは
反対側で、山のほうへ向かって、これも歩くと1時間かかっちゃう?

とりあえず漁場のほうへはバスがあるとか。どれくらいの頻度で出ているんだ…?
バス停を見つけ出して見てみると、にゃんと10分後に来るでわない~か^^
ウウム、日頃の行いが(^益^)b



バスが来れば、乗っているのは10分15分。あっさりついてしまいました。まわりには
何もない地域で、もちろん観光客もまったくいる気配はない。管理小屋に行くと、
「おっ!客が!」という雰囲気。



こちら名前の通り、福原さんという網元の漁場経営者が残した建物。すごいよ、
木造3階建てですぜ。



鰊を浜から運んだのでしょう。看板がなくてもトロッコってわかります^^;
思い出すのは芥川龍之介の「トロッコ」ですが、あれは熱海や小田原のほうが
舞台だったそうですね。



母屋の内部です。左は並んで食事をするところだったそうです。



台所。大人数のあらくれ漁師たちに出す食事の準備は、毎日大変だったこと
でしょうね。



すごくでっかいお釜やお鍋。朝食が終わったらすぐに昼食の用意だったのかな?



ここは落ち着いた客間。漁師たちの雑魚寝のエリアと違って優雅です。



散髪用の椅子が残っておりました。西洋から持ってきたもの?この辺鄙な場所に
ある漁村が、どれだけ豊かだったかということが偲ばれます。



これなんていうのかしら?風通しをよくする飾り。富士山に鳥が飛んでいる。
特別な大工に作らせたのでしょうから、きっと金がかかったんだよー。



こちらは松ですね。ほおぉぉぉ~~w