東京は酒類提供が完全に停止されています。電車に乗って埼玉に行ってもダメだ。
執念で埼玉を通り越して群馬まで行ったやつが、「高崎もダメかよ!」と絶望した
記事を読みました。
しかし!気づかなかったぞ、埼玉西部地区は20時まで酒提供だったんだ!
こりゃチ〇ポ丸出しで「エウレーカ!」ではないか。
というわけで、通勤途中下車で所沢に。古い大衆酒場「百味」は何度も行っている
お気に入り。しかしこの1年あまりは行っていなかった。どうやら半年以上閉店して
いて、なんとオーナーが再開をあきらめたが、強い要望を受けてオーナーが変わって
続けることになったとか。
午前中からやっていて、いつもワイワイ。地下の大箱だからコロナの影響は直撃だなあ。
本日のおすすめボードに「かわはぎ」があったのに、16時で売り切れ!もっと早く
来なきゃいかんのかー。というわけで、いまが季節の「コチ」で樽酒に。
おっさんたちが酔っ払って大声で話してやがる。このご時世なんだから気を遣って
くれよなあー。ま、もともとそういう店なんだから、あまりヤなこと言いたくないけどね。
でも半分くらいはひとりで来ているジジー。俺もそこに近づいているかもしれん。
みんなポツポツ離れて座っている。こじんまりした店でなじみの顔ぶれが揃い、大将や
女将との会話を楽しみに来ているようなところもあるが、ここは大箱で雇われ店員との
会話もなく、英国のパブのように個々人がまったりと時間を過ごす場だ。これもいい。
昼間だし新聞を読んでいるジーサンもいる。
この店の名が「百味」というように、メニューは幅広く、飽きがきません。
と言っても、いつも俺は串物でビールを飲んでから日本酒に刺身、そして最後に
かっぱ巻きを食べるわけで、狭いエリアをリピートしてるだけなのですが^^;
オーナーが変わり、お会計場には新型のマシンが置かれていて、ディスプレイされた
金額に自分でお金を投入するという、最近スーパーなどにも増えている、店員と
現金やカードのやりとりをしないシステムになっていました。
ふるさと納税で和歌山の「紀土(きっど)」を頂きました。こちらは海南の
平和酒造。海南と言えば、「黒牛」の名手酒造に行きましたなあ。平和さんは
山のほうで、歩いて行ける距離ではなかったのです。
ふるさと納税だとウェブ上で日本中の酒を選んで取り寄せることができる。
それも酒屋ではなかなか手に入らないレアもの、季節ものなんかもあるから
大変嬉しい。しきゃも!金満東京都にではなく、ガンバレ地方!に納税する
だけでもらえちゃうんだから、やらなきゃソン・フンミン。
画像をよく見て( ゚д゚)クレ 一番左の純米酒、なんか内容量がちと少ないぞ?
お猪口一杯分くらい少ないよね!? これが純米大吟醸だったら怒るよ?!
酒に合う肴を買いに行く。スーパーで「虹ます」が割引になっていた。150円。
酒は納税場所を変えるだけでほぼタダ。うちで飲んだら金がたまるなあー。
実はこの前に、ジムに行って汗をかいてきました。ウエイトのマシンを1時間。
筋肉もりもり!プールで1時間。脂肪がなくなって体びしびし!(になればいいな^^)
最後にサウナで大汗をかく。これで魚の塩焼きでたっぷり塩分摂取しても問題ないぜ!
帰宅後、さすがに喉が渇いたので、ついビールをガブガブ飲んでしまいました。水分の
足りない体は、スポンジのようにビールを吸収しました。するとクラクラクラ。。。
そりゃ血中アルコール濃度が一気に上がるよなあ。
紀土を飲みながら考えた。ボクサーが減量で水抜きをし、極限まで乾いた状態になった
ときに日本酒なんて飲んだら、そりゃもうクラクラすんだろうなあ。そんなときなら、
俺だって井上尚弥に勝てるかもしれんじゃないか!酔うとそういうこと考えます^^;
酒屋で見つけたワイン、その名もズバリ「ミシェル・ド・モンテーニュ」!
私は昔、英国の大学に行き、入学式の10日前頃に寮に入ったのですが、毎日モンテーニュの
「エセー」を読んでいたら、入学式が終わっていました・・・(^益^)w
モンテーニュ自身がひきこもって書いた大作なんだから、ひきこもって読むのが正しい^^
それはそれで没頭するほどに面白かったのですが、そのあとに読んだオーストリアの
作家ステファン・ツヴァイクが彼について書いた評論に感動しました。
モンテーニュの生きた時代は宗教戦争の真っ只中。カトリックとプロテスタントが血で血を
洗う抗争がエンドレス。国と国との戦争じゃありません。街中で、隣近所で、行き交う人
同志が恐ろしい敵対関係にあったのです。お互いが「異端!」ときたもんだw
そのモンテーニュが書いた「エセー」にツヴァイクが反応したのは、ユダヤ系だった
彼がナチの恐怖から逃れるために、ひとりカバンひとつで英国に亡命し、そこも危なく
なってアメリカに逃げ、そこからまたブラジルに避難するという悲惨な人生を送る中で、
逆境の中で生きた先人の心の強さに支えを見い出したからです。
以下、モンテーニュの言葉にツヴァイクが感動したところに私が感動したところです。
時代と場所を越えて、心の連帯が生まれた言葉です。
生の高貴な価値が、我々の平和が、生まれ持った権利が、この世の生活をより純粋に、より美しく、より正しくするすべてのものが、1ダースほどの狂信家とイデオローグの熱狂の犠牲にされてしまうこのような時代には、自分の人間性を時代のために失いたくないと思う人間にとって、すべての問題は、いかにして自由であり続けるか、というただひとつの問題に帰するのである。
世をあげての奴隷根性の時代に、イデオロギーや党派から魂と自由を救おうと努めたからこそ、彼は今日、他のどの芸術家よりも兄弟のように我々の身近にあるのである。我々が他の誰よりも彼を尊敬し、愛するとすれば、それは彼が他の誰よりも、「自己であり続ける」という、生の最高の術に献身したからなのである。
今日の私を感激させ、モンテーニュに没頭せしめるものは、彼が現代と同じような時代にあって、いかにして自分の心の自由を得たかということ、また、我々が彼を読むことによって、どれほど彼という模範に強められうるかということ、ただこれだけである。
彼を世間から遠ざけるものは何一つなかったのである。彼は世間を愛した。そして、「生を愛し、神が喜んで与えてくれるままにそれを利用」した。自己を大切にしたからといって、決して孤立したわけではなく、逆に何千もの友を得たのである。自分自身の生活を書き記すものはすべての人間のために生き、自分の時代を描き出す者は永遠に生きるのである。
私がモンテーニュの全作品のなかに見出した不動の主張・公式がただ一つだけあった。それは「この世で最も偉大なことは自己の独立を知ることである」というものであった。人間を高貴にするものは、外面的な地位や、生まれのよさや、すぐれた才能ではない。それは、自己の人格を守り、自己の生を生きることにどの程度成功したかによって決まることなのだ。
彼の判断はいかなる偏見によっても濁らされておらず、「自分の思い描いた考えに従って他人を評価するという、世にある誤りに陥ることは決してなかった」そして、生まれながらに立派な魂を、一番だいなしにし、麻痺させてしまう野蛮な力と狂暴とに対して、警告を発したのであった。
これを見落とさないことが大切である。なぜなら、それは人間が常に、いかなる時代にも自由でありうることを証明するものだからである。… しかし、人間的なものは不変である。狂信の時代、「魔女の槌」や「火刑裁判所」や異端糺問の時代にも、常に人間的な人はいたのだ。そうしたものも、エラスムスやモンテーニュやカステリオのような人たちの明晰さと人間性を乱すことは一瞬たりともできなかったのだ。ソルボンヌの教授、宗教会議の人々、ローマ教皇の使節、ツヴイングリやカルヴァン一派といった他の人たちが「われわれが真理を知っている」と告げ知らせたのに対し、モンテーニュの評決は「私は何を知っているか」ということだったのである。彼らが車裂きや追放の刑をもって「汝かく生くべし」と強制したのに対し、モンテーニュは「私の思想ではなく、汝自身の思想を持て!汝自身の生を生きよ!私に盲従せず、いつも自由であれ!」と忠告したのであった。
自ら自由に思考する者は、地上のすべての自由を尊重するのである。
つらいことがあったとき、逆境の中でピンチになったとき、こういう言葉は大きな支えに
なります。まだそんなピンチになっていないときでも、読んでおけばワクチンのように
効いて強靭な心を作ってくれるではないですかー。
三軒茶屋は渋谷から歩いても来られる一等地ですが、新宿や渋谷がまだまだ
さえない「町はずれ」だった頃は、さらに田舎でした。そして高度成長期にこのような
繁華街ができて、それがまだまだ残っているのです。オンボロな雰囲気ですが、土地の
値段はきっとすごいぞ。なにせ駅裏ですから。
うわー、「インベーダーゲーム」って、40年くらい前になりますよねー。
古本屋で100円の文庫を買おうか考えてたくせに、ゲーム機に100円玉を入れて3機、
ものの数分でやられちゃってw
「デザインパーマ」って、パンチパーマとか?下町にいる私の友人は、いまだにそれを
やっています。高校生の頃、大仏に似ているので「鎌倉」とか言われていました。
いまでは田舎のおばーさんたちがやってます。みんな一軒しかない同じ美容室に行くので、
バスで数人が乗っていると、みんな仲良し姉妹みたいになっていることがあります。
「アイロンパーマ」というのは、オールバックでコチンコチンにするやつ。横山やすしが
やっていたやつです。中学生のつっぱり(死語だなー)がみんなやってましたね。
おお、銭湯があるんですねー。向こうに見えるは昭和な団地。6畳と4.5畳半の、今では
狭い感じですが、建設当時はモダンで広い、と憧れの対象でした。ちなみにボンビー
だったうちは、オンボロアパートで2畳(!)と4.5畳で、台所は立つスペースだけ。
そこで一家5人ですよ。私は兄弟と2畳に寝ていました。4.5畳の部屋を「広い部屋」と
呼んでいました。そこで生まれ育ったので、「狭い」なんて考えたこともなかったです。
ちょっと歩き疲れて暑かったので、コメダ珈琲に。珍しく昭和な喫茶店を見つけたの
ですが、満席w チェーン店は普段避けるのですが、ここは純日本だし、名古屋だがね。
昭和な居酒屋「伊勢元」に。何せ19時ラストオーダーのこのご時世ですから、開店の
16時から飲み始めたのですww
さすがに16時の開店時間だったので一番乗り。にゃんと俺の好きな三重の酒「作」が
お手頃のお値段であったので、それを連発。連れの友人は酒を飲まないので、俺だけが
どんどん飲み進め、例によってしまいにゃ泥酔^^; そんときゃ気持ちよく酔っ払って
しまうわけですが、あとで思い出すと「なんか俺だけへべれけになってバカみたいだった
かなー」とか微妙な気分になりました。しかし「いつものように楽しかった」と翌日に
メールが来たので、反省はしないのでした(^益^;
松陰神社を見たあとは、商店街を少し歩きました。古い商店の看板が残されていますが、
いまの店はモダンなレストランになっているようです。
こっちもそうだ。「みやこ電気商会」の看板は残っているのに八百屋だ。しかしその
八百屋もスーパーのチェーン店に押されているんだろうなあ。
さてふたたび世田谷線に乗って、終点の三軒茶屋にやってきました。駅ビルは高層の
「キャロットタワー」になっています。人参か。展望台が無料になっていたので
登ってみました。
晴れていれば富士山が見えるとか?
お、下に見えるは世田谷線の線路です。
俺が乗って来たやつだ。折り返して出発したんだな。線路に雑草が生えているよう
でしたが、こうやってみると悪くない緑の絨毯じゃないか。こうなったら全部そうすれば
いいかもしれないねェ。
お、はるか向こうに見える高層ビル群は、新宿や六本木ではない。なんと武蔵小杉!
タワーマンションが乱立して、川が氾濫したときに一階が水に浸かり、電気系統が
故障して停電になり、40階だの50階だのに歩いて登らなければならず、さらにトイレも
流れなくなって大変なことになったが、7000万円だの9000万円だのといった高級
マンションなんて買えるわけもない一般庶民からは同情どころかむしろ・・・となって
しまったところかあ~~~。
景色を見るなら、新宿のほうとか東京タワーが見えるほうを見たかったのだが、そっち
のほうがレストランになっており、お金を払わないと見られなくなっていました。
ま、そういうもんかねw