さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

日照りの諏訪湖を歩く

2024年06月19日 | 関東甲信越


甲府から上諏訪にやってきました。暑いぞ盆地!


古い産婦人科の建物。横の新しい建物で開業しています。この古い建物はどうして
いるんだろう? ほとんど文化遺産ですよねえ。


諏訪湖に向かって歩きます。水草がこんなに成長するんだな。


こんな静かな所に住むのもいいなあ。小さい子供がいたら心配だけれどねw


おお、これは? すごい敷地の広さだが。。。


やはり味噌・醤油でした。


川面が青空を映しています。ほとんど流れていない様子ですが、諏訪湖に流れ込んで
いるのでしょう。


ここに来たら奮発してうなぎ! 今までいくつか試してみてここが一番旨いぞ^^


なぜかいつも向かい側の小上りに座ります。しかし今は少し腰を痛めているのです。
北海道で3ヵ月も飲んでばっかりいたもんだから、ベルトの穴がひとつずれましたw
帰京してジムを少し頑張りました。腹がバキバキにならずに、腰がゴキッとなったw
ううう。。。 というわけで、今回は椅子に座ろうと思っていたのですが、言う前に
こちらに案内されました^^


さて食後に諏訪湖のほとりへ。前回は1月、湖には氷が浮かんでいました。日陰に
なっている同じところに座っています。このブログをずっと見ている方は、この
諏訪湖の定点観測が可能です(^益^)b


暑すぎるせいか、歩いている人はあまりいません。前々回に隣のベンチに座った
きれいな女性ももちろんいません。


画像だけ見ていると静かな雰囲気のように思われるかもしれませんが、隣では
草刈り機が爆音をあげていました。ご覧の通り、はじっこからぐるぐる回って刈って
ゆくのですな。真ん中に花が咲いていますが、あれも刈られるんだろうな。。。


やはり全部刈られました。大量虐殺、もし草や花の声が聞こえたら、大変な叫び声
だったことでしょう。手間暇なんぞかけずに、ボウボウにしておくってわけには
いかないのか?


帰り道、はじっこの段になっているところが刈り残されているのを発見。


ぎりぎりのところで生き延びましたね(^益^)w


歩いていると、「諏訪文化センター」なるものがあり、そこには図書館もあったので
立ち寄ってしばらく新聞などを読む。旅先ではローカル紙を読み、地元の情報を
読んだりするのも楽しみの一つです。また有名な作家ならだいたいどこの図書館にも
あったりします。なので池澤夏樹の『また逢う日まで』を見つけてしばらく読む。
というのは、小樽の図書館でたまに読み、ここで続きを読み、後日伊那の図書館でも
続きを読みました。長~い伝記小説だから、少しばかりとぎれとぎれでも問題なく
楽しめる(もともと新聞連載だったので、細切れで読んでたし)。持ち歩く必要なし、
購入して本棚を圧迫しない、そしてタダ♪


日照りの中の甲府城址

2024年06月17日 | 関東甲信越


甲府の朝を迎えました。二日酔いの朝食はいつもコンビニのサンドイッチ。しかし
400円とは、何だか高くね? 飲み物を入れたら喫茶店のモーニングセットみたいな
値段じゃねーか? しかし英国滞在中の知り合いは、ロンドンの駅で列車で飲む
コーヒーを買おうとしたら800円、スーパーのサンドイッチが1000円だとか。
もう海外は行けないじゃねーか。。。
こっちだって昨夜の冷やしたぬき蕎麦は1200円もしたしな!
じりじり貧乏になっていく気がするw


駅に向かう途中、急ぎもしないので甲府城址を歩くことにしました。ここは別名
舞鶴城。この名前、あちこちにあるような。城の白い天守閣が鶴に見えるからですね。


抜けるような青空。まだ10時前なのに、真夏の日照りだよ。今日も30度を超えるとか。


荷物を持って階段を登ると汗が噴き出てくるぞ。昨夜もだいぶ飲んだしなw

こちらのお城は址だけ。ちと寂しい。以前バーで街おこし系の仕事をしている人と
同席しました。その人は熱く語っていました。
「お城がないとダメなんだよ。人を呼び寄せるには再建しないと。しかし検討会議
では学者が反対するんだよ。かつてのお城の写真も図面も残ってないから、勝手な
もの作っちゃいけないって。ホント学者ってのはしょーがねーよなー!」

でもさ、変なもん作って笑いものにでもなったら取返しつかないじゃん?と思い
ましたけれど、そんときゃ何も言いませんでした^^;


少し高い所に登ると甲府盆地が見渡せました。甲府って、360度こうやって山に
囲まれているんですよ。・・・だから暑い!


北の駅方面。線路の向こう側にもお城の跡地があります。つまり線路を敷くときに
敷地を貫いちゃったわけ。これこそバカなことしたよなあー!


あちらには高層マンション。お城(址だけど)を見下ろすようなモン造るか!これも
アホウですね。京都の寺の5重の塔のすぐよこにマンション建てるほどじゃないけど、
やめときゃよかったでしょう。どれほどの利益のために景観をブチ壊せば気が済むんだ?


信州への旅が始まる

2024年06月15日 | 関東甲信越


甲府にやってきました。武田信玄に御挨拶。今回は甲府、諏訪、伊那のなじみの酒場に
寄ったあと、だんだんなじみになりつつあつ上山田温泉に行き、上田を周ります。
先月北海道で春を迎えたというのに、こちらは30度を超えて暑いぞ!


まずは昼飯、その前に冷えたビールか。いつもは高尾で中央線に乗る前に昼飯を食べて
いたのだが、この春から時刻表が改正されたのか、甲府行きの普通列車が激減?!
無理矢理有料特急に乗せたいのか? 意地でも乗らんわ。


甲府名物の「ほうとう」にしようか迷ったが、暑いし町中華に^^


かき氷を食べようかと思っていたのだが、ビール飲んだし腹が一杯で、コフヒーに
しました。ここはノアのマスターに再会したところだなあ。


ホテルの窓から、富士山は見えなかった。朝早起きしたし、歩くのは暑いし、水の
シャワーを浴びたら昼寝をしたくなって、たっぷり変な夢を見ていたら3時間も寝て
しまって起きたらもう7時の出動タイム!


甲府のアーケード街にはまた昭和な店がちらほら残っています。


日が長いから、7時でもまだ明るい。蕎麦屋を検索したら、ソウプ街の先じゃねーか。
寄ってくる呼び込みのオジサンたちを通過して行くぞ。


うわー、「スチワーデス」の隣り、というか同じ建物じゃねーかっ!入り口のオジサンに
「いらっしゃいませー」とか言われて、「あれ、違うのかよ」というのを背に感じつつ
蕎麦屋「信州」に入る。ちなみにそんときゃ画像を撮れなかったので、これは出たとき。
そのときはもうオジサンはいませんでした^^;


まずはさしみこんにゃくに酒。旨いんだが、つまみにはこの半分で十分だw


冷やしたぬきそば。なかなか旨かったが、少し高い。風俗街値段なのか?


そして「ノア」に。英語で「町で最高の場所だよ」なんて幕がかかってたw
インバウンド来るの?


「あ、久しぶりじゃないか」と言われる。1月に来てから、2~5月は北海道に
いたからなあ。いま「信州」で蕎麦を食ってきたが、そこは「スチワーデス」と
同じ建物だったんですね、と言うと、「そうそう。俺もあそこで蕎麦食って出て
きたら、マスター、ソープから出てきたろ、って言われたことあるんだよ」と
笑っていました^^;

旅人なので「常連」ではなく「リピーター」? でもすっかりなじみになったこの店、
顔を見ると「おお」と迎えてくれるのが嬉しい。ここのダンディーなマスター、いつも
煙草を吸って角の水割りを飲んでいます。常連の女性客が、「少し煙草も控えてよ。
あと10年はやっててほしいんだから、お酒も控えて。。。」などと苦言(^益^;

俺も同じように長くやっててくれないと、と思いますが、うまそうに煙草を吸って、
酒を飲んで酔っ払ってくるから楽しい雰囲気になってるんだよ、とも思ったりw


勝海舟記念館

2024年06月06日 | 関東甲信越


ここは目黒、東急池上線の乗り場です。これに乗るのは初めての気がする。
北海道から帰り、友人らと順番に酒を飲んでいます。今日会うのはこちらが職場の
人なのです。


洗足池にやってきました。日蓮上人が身延山の久遠寺から常陸に向かう途中、ここで
休んで足を洗ったことがその名前の由来になったそうです。


ここは勝海舟の住まいがあったところ。


友人と会う前に、勝海舟記念館を見物することにしました。


勝海舟は幕末から明治維新にかけて活躍した人。黒船がやってきて日本が大ピンチに
なったとき、近代国家設立のために西洋の学問を学んで海軍の整備のため先頭に立って
尽力し、幕府と新政府の間の調停にも奮闘した偉人です。


実は私は勝海舟にあまりいい印象を持っていませんでした。というのはジョン万次郎の
伝記を読んでいたからです。オランダ人に造らせた幕府の軍艦・咸臨丸で、日本で初めて
太平洋を渡ってアメリカに渡ったときのこと。それは日米修好通商条約の批准書交換の
ための遣米使節団という重要な任務を担っており、勝海舟は「軍艦操練教授方頭取出役」
という役職でした。すっきりと「艦長」じゃないの? そこには幕府の旗本である木村
喜毅が軍艦奉行としてトップに立っており、実に日本らしいですが、実務能力、身分の
高低などがからみあって船の指揮系統にトラブルがあったのです。

勝海舟は自分が船の操縦を学んだトップなのだから、自分がいわゆる「艦長」なのだと
思っていたことでしょう。長らく続いた世襲制で無能な幕府にいらだつ開明派の不満が
聞こえてきそう。しかし軍艦操練所教授方頭取で海軍技術を教えていた勝海舟にとっても
外洋に出るのは初めての経験であり、実際に船が出て外洋で波にもまれるとほとんどの
日本人は船酔いで動けなくなり、船を動かすのはサポートに入っていたアメリカ人たちに
すべて丸投げとなったのでした。

そこで動けた日本人はわずかに若い3人。そのひとりがジョン万次郎でした。万次郎は
航海術を学んだアメリカのバートレット・アカデミーを首席で卒業、その後捕鯨船に
乗って世界中を回った一流の船乗りでした。咸臨丸には下っ端の通訳として乗船して
いましたが、実力・経験では文句なく艦長になるべき人だったのです。

暴風雨の中、日本人はほとんど船内にこもりっきりだったので、少ないアメリカ人だけ
では作業が回らない。アメリカ人のトップ、ブルック船長は万次郎に「日本人も出てきて
働け」と伝えるように言います。しかし勝海舟は船長室で寝ていて怒って拒否したとか。

上の画像で、マストの上に乗って必死の作業をしている様子がありますね。万次郎が
「日本人も上がって作業を分担せよ」と言ったら、「万次郎をマストに縛りつけろ!」
なんて言い返したとか?

名ばかり威張ってて「俺が艦長」だとかにこだわる無能で動かない連中は軽蔑しますよね。
しかしこの記念館のビデオでは、勝海舟は船に乗る前から具合が悪くて実は大変だった
のだ、と語っていました。だったら威張らずに面子なんぞを捨ててきちんと働ける人を
立てればよかったんじゃ?

同乗していた福沢諭吉も、航海のあとに「これは日本人だけで成し遂げた壮挙」なんて
自画自賛したそうです。これもなあ。。。

まあ人間、そんなにすべて立派な人なんていないもの。負の部分を消去して立派な人
だったと祭り上げるのは気をつけよう、ということでしょうか。


記念館の裏には勝海舟のお墓があります。


左は奥さん。ここに眠るのは勝海舟の希望だったそうです。奥さんと並んでの埋葬も
御本人の希望でしょうか。ちなみに連れ合いと一緒に墓に入りたくない、という人を
私はたくさん知っています。二人一緒がいい、と意見が一致している人は見たこと
ありません。そんな人がいたら、生前も死後も幸せってことなんだろうなあ~^^;


洗足池を少し歩きました。いい所だねえ。


かわいいカモの赤ちゃん♪ 赤ちゃんって、毛がぽわぽわ^^


静かでいいところなので、このまわりにはあちこち豪邸がありましたぞ。


東急大井町線と目黒線が通る大岡山駅にやってきました。駅の上に巨大な病院w


駅前に大きな地下飲食店街がありました。ちと見てみよう。


うわー、昭和な酒場やバーもある。いい感じですなあ^^


駅の北側には商店街。


友人と合流して酒場に^^


おお~、魚がとっても美味しい店でした♪