続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

「立てる像」の感想。

2011-07-26 07:10:58 | 美術ノート
 松本俊介の「立てる像」
 作品は、作家の宣言である。
「わたくしは、世界の上に立っている一存在である。世界はわたしであり、わたしは世界である。道は多岐に渉るかもしれないけれど、この一本道を行くわたしは、世界を見上げ、また俯瞰して、オールラウンドを感知し、わたくしで在り続ける作品を描いていく」というメッセージを発している。
 曇天の空については昭和14年に描かれたというその時代背景そのもの(昭和15年第二次世界大戦勃発)

《しかし、わたくしは強者ではなく、平服素顔のままのわたくしであります!》潜む弱点を静かに克服し、生きる尊厳を表明し得た自分の肯定。

 ありのままの、しかし、決して臆することのないわたくしの宣言はこのようであります。そういっているような気がする。

困惑。

2011-07-26 06:43:41 | 日常
 先日の夢庵での四人の集い。話を聞いているとみんなそれぞれ
「お米はね、夫の所有する土地でお米を作っている人から送ってくるので買ったことがないの」とか「ゴルフ三昧ね」とか「兄が裁判官だったでしょう、夫の兄弟はみんな医者なの」なんて言っている。

 こちらは言葉もなくている所へ、
「あなたのその髪形いいわね、どこの美容院?」

《ギョ、ギョギョ!》

 しばらく間をおいて、仕方なく言ったわ・・・。
「自分で切っているの、お金も時間もかからないから」
「ええっ、どうやって?」なんてわたしの髪を覗き込む三人。ホント、穴があったら入りたかったわ。

『風の又三郎』55。

2011-07-26 06:29:10 | 宮沢賢治
今日持って来なかった人は、あしたきっと忘れないで持って来てください。それは悦冶さんとコージさんとリョウサクさんとですね。

 今日はキン・ヒと読んで、金(尊い、貴重な)・陽。キョウ/経(不変の真理を説いた書物)
 悦冶はエツ・ジと読んで、越・時(時を越える)
 コージは、後事(死んだ後、将来の事)
 リョウサクは、霊(死者の魂)放く(離く)

☆今日持って来なかった人(尊い太陽である神)は、あしたきっと忘れないで持って来てください。それは時を越えたり、将来や死者の魂を解放してしまったからですね。

『城』550。

2011-07-26 06:12:30 | カフカ覚書
なにやら小唄を口ずさんだが、うたっているというよりもため息をついているという感じだった。

 小唄/kleines Lied→Klan leid/氏族の悲しみ。
 歌う/sang→orge/心配、不安。
 
☆なにやら氏族の悲しみのようだったが、心配しているというよりもため息をついているという感じだった。