続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

蝉時雨。

2011-08-08 06:59:50 | 日常
 早朝から蝉の鳴き声が重なって聞こえてくる。騒々しいというより、何故か物悲しい。
 ミーン、ミーンに混ざって、シャワシャワといった感じのクマゼミの鳴き声もする。

 まさに夏、この暑さ、この千の鳴き声・・・あの世に逝った人が少しの間現世に戻ってくると信じられたお盆の空気感が分かるような気がする。
 忙しい日常の中の閑・・・ご先祖様の供養に手を合わせる習い。

 でも、もしわたしが死んだら、わたしのことなど忘れてほしい。きれいサッパリこの世から消えて後の人たちはわたしのことなど思い出さないでほしい。いつまでも忍んでお線香なんか上げなくてもいいわ。
 わたしなりに精一杯生きたらもうそれでいい・・・自分のしたことに未練もないし、第一好きでやっていること。跡形もなく風のように消えてしまいたい。


 逆にいえば、生きているうちにはもっと頑張りたい。怠け心にゆったり心身を預けていればこの世の極楽・・・(まだ極楽は早いわ)そう思ってもままならない日常の怠慢、許すわたし・・・。

『風の又三郎』67。

2011-08-08 06:31:57 | 宮沢賢治
「どこらあだりだべな。」
「私もまだよくわかりませんが、いつもみなさんが馬をつれて行くみちから少し川下へ寄った方なようです。」

 私はシと読んで、死。
 馬はウマと読んで午(十二支の第七→死地)
 行くはコウと読んで、考。
 少しはショウと読んで、衝(重要なところ)
 川下はセン・カと読んで、千(たくさん)化(形性質を変えて別のものにする)
 寄ったは、キと読んで、鬼(死者の魂)
 方はホウと読んで、包。

☆死の死地の考えの重要なところは千(たくさん)ある。
 化/形、性質を変えて別のものになる鬼(死者)を包んでいる。