続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

友情。

2011-08-15 06:41:39 | 日常
 ビックリするような来客があった。亡母の女学校時代の友人Uさん。

「わたしももう年ですから、今日のお参りが最後です。これから先は、もう年賀状も無しと言うことにしてください」という挨拶を受けてからもう五年は経っただろうか・・・。

 もちろん年賀状は欠かさないし、彼女のほうも返信してくださっている。(ああ、ご無事なのだ)と思いながら、なかなか逗子市に転居された先まで訪ねることができないでいた。


《ああ!!》
 律儀なUさん、母が亡くなってからすでに二十五年の歳月。

「いいお友達だったの、もうあなたのお母さん以外、お友達を作る気がしなかったくらい」と言ってくれた。


 病がちで赤貧・・・良いことのなかった母の人生。航空廠勤めから小学校の代用教員を経るも、わたしを生んだ年にはすでに病弱で二月に産んだ子を十月まで抱けなかった母。

 母の事は辛すぎて書けない・・・。

 その母を思って訪ねてくれたUさん、ありがとうございます。娘さんもお孫さんも飛び切りの美人で幸福そうな90才、しかも健脚なので立ち姿は美しく、実直な人柄そのもの。

「お母さん、あなたの古いお友達が訪ねてくれました。良かったですね、わたしも感無量です。」

『城』569。

2011-08-15 06:18:34 | カフカ覚書
フリーダがすべてを打明けてしまったいまとなっては、彼女からどれだけのことが期待できようか。

 期待する/erwarten→wrbarmen/気の毒に思う、引き受ける。

☆フリーダ(平和、自由)が、あらゆることを打明けてしまったいまとなっては、彼女(平和、自由)をどれだけ引き受けることができようか。