続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

ラジオ体操。

2011-08-19 06:34:29 | 日常
 午前6時半から始まるラジオ体操は一年中放送されているけれど、夏季には特別の感がある。

 わたしが子供のころは夏休みに入るとすぐカードを首にぶら下げて毎日通ったものだった。多分8月の10日くらいまで。
 だから親戚の家に泊まる場合などはそのカードも持参して、従弟妹たちと集会場へ走った記憶がある。

 あの「出」の判が揃わなければ修了のノートがもらえないので何としてもあの判が欲しくて消しゴムで真似て作ってみたけど・・・もちろん完敗。
 寝坊して、それでも判だけはもらわなくてはと、体操には間に合わなかったのに知らん顔で後ろに並んで判をついてもらった思い出。

 清々しい夏の朝の空気と共に思い出されるラジオ体操は、わが子の時にもあることはあった。ただ期間は非常に短く、あるやなしやの感じだったし、昨今ではカードを持って走る子供の姿も見かけない。廃止になったのだろうか。

♪新しい朝が来た 希望の朝だ♪
 この歌ってわたしが子供ころに出来た歌だった気がする。

 戦後・・・♪若い力と(・・・・)に燃えよ若人胸を張れ・・・歓喜溢れるユニフォーム 肩に一片花が散る~♪
 この歌もわたしの就学中に出来たような覚えがある。

 体育も残念だったわたし・・・でも、歌だけには微かな記憶が残っている。

『風の又三郎』78。

2011-08-19 06:19:39 | 宮沢賢治
谷川はそっちの方へきらきら光ってながれて行きその下の山の方では風も吹いてゐるらしくときどき萱が白く波立ってゐました。

☆酷/むごい千(たくさん)の報せ。
 講(解き明かす)考え。 
 解(問題を解く)太陽の照(ひかり)
 法(手段)によって普く遂(物事をやりとげる)
 兼/兼ねていることを遂/やりとげる。
 破(やりぬく)ことが、律(物事の基準となる決まり、守るべきこと)である。

*つまり、一つの文章の中にもう一つの考えが秘密裏に入っていること。即ち、二重の風景、すべて二重の風景という意図である。『屈折率』とはその物語の世界(現世と冥府)の空気感の差異を言っている。

『城』573。

2011-08-19 05:58:45 | カフカ覚書
「だれのことだね」と、Kはたずねて、ふりむいた。カウンターのうえに腰をかけているのは、彼のふたりの助手だった。

 カウンター/pult→pulk/集団。
 腰をかける/sassen→sasse/土地所有者、定住。
 
☆「だれ?」と、Kはたずねて、反論した。集団の土地所有者たちは、束縛された頭脳だった。