続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

不安。

2013-03-02 06:50:59 | 日常
 日常の不安・・・それは言うまでもなく、体力の減退に起因している。衰えゆく身体機能、加えて疲れやすくなっている事情はハードなスケジュールを許さない。

 ・・・考え込んでしまう。

 同じ日に二つの事情が重なるのではない、単に幾日か連続しての外出に危惧している、滑稽とも思える不安。


 日にちが重ならなくて良かったと思うところなのに、昨日も今日も明日もなんて体力が持つかしら・・・。(つくづく情けない)

 元気な人は、午前は「これこれ」午後は「しかじか」とフットワークも軽く行動している。「一寸時間が出来たから映画を観てきたわ」なんて涼しい顔。

 こんなことではいけない!
 自分に甘えているのではないか・・・叱咤激励。大きく深呼吸をして落ち着いて《大丈夫》と自分に言い聞かせる。

 
 打明けて言えば、みんな遊びに行く予定・・・。乗り越えられるか検討するような次元の話ではない。



 TVの中での話しだけど、「夫が自分の料理にケチをつけたので『世界にはこれすら食べられない人たちがたくさんいる』と言ってやったわ」って。
 なんか訳分かんないけど、大同小異・・・わたしの事情も似たようなもの。《世界には過酷な労働に耐えている人たちがたくさんいる》かもしれない。

『木々』

2013-03-02 06:35:34 | カフカ覚書
 なぜならわたしたちは雪の中の木の幹のようなものだから、それは滑らかに雪の上に載っているように見える。ほんの一突きで押しのけることもできるだろう。いや、そうはいかない、木の幹は大地にと固く結びついているのだから。しかし見たまえ、それすらもそう見えるにすぎない。

 木々/Baum→Barme/泡。
 幹/Stamme・・・人種。
 雪/Schnee→Schnurre/馬鹿話。
 滑らか/glatt→Grat/困難。
 ほんの/kleinen→Klan/氏族。
 固く/fest→vast/荒涼とした。

☆なぜならわたしたちは馬鹿話のなかの泡のような人種なのだから。それは困難と格闘しているようにみえる。氏族の憤りは人としての岐路でもある。否、そうではない。泡のような人種は荒地に結び付けられている。しかし、それは、ただそう見えるだけにすぎない。

『セロ弾きのゴーシュ』15。

2013-03-02 06:14:59 | 宮沢賢治
家といってもそれは町外れの川ばたにあるこわれた水車小屋で、ゴーシュはそこにたった一人ですんでいて午前は小屋のまわりの小さな畑でトマトの枝をきったり甘藍の虫をひろったりして、ひるすぎになるといつも出て行っていたのです。

☆過(あやまち)を懲(こらしめ)詮(あきらかにし)、遂げる赦(罪や過ちを許す)。
 照(あまねく光があたる=平等)也。
 溢れる神の語(言葉)は総て照(あまねく光があたる=平等)也。
 将(あるいは)死を敢えて覧(広く見渡し)宙(大空)に推(前に押し出す)光なり。

*町はずれの川ばた・・・天の川、銀河の外れにある地球。

『城』1200。

2013-03-02 06:01:11 | カフカ覚書
だってね、外面的には、すべてが成功したように見えます。ハンスは、なにひとつ不自由のない身になり、すばらしい奥さんをもっているし、商売のほうも、借財がなくなった。

 すべて/alles・・・終った、尽きた、死。
 奥さん/Frau→Frei/自由。

☆外面的には、死は奇妙に見えます。ハンス(一族)は確かに辛労でやつれてしまったし、尊敬する先祖の自由には言葉の方も責任はない(解放されている)。