続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

健太来訪、妹の来訪。

2015-01-02 05:39:21 | 日常
 電話が鳴って「今、何人いるの?」と聞いてきた息子。
「寿司買っていくから」という。弟一家が来ていることを想定していたらしい。兄として何かという気持ちだったと思うが、待てど暮らせど来ない。電話は夕刻五時、待ちかねて連絡すると「今家を出たところ」だとい言う。到着したのは八時・・・。
「回転寿司なんだけど、すごく並んでいて、時間がかかっちゃった」で、ゆうに五人前はある寿司を前に、「自分は作ってもらいながら食べてきたから」と一つもつままない。何もお土産なんか要らないのに、どことなく的外れな息子に、ちゃんとやっているのかしらと杞憂。
「会社は休もうとすれば百日近く休めるし、十日は休んで欲しい感じなんだけど、自分は二日しか休まなかったよ。だって、祭日・土日があって夏季・冬季休暇があれば、あと何休むのって感じだもの」

 始終寝坊して朝起すのに苦労させられた息子、少しは成長して何とかやっているんだと感無量。生活の基本は仕事、そのことに充足感を持っていれば(まあ、いいでしょう)と少々のトンチンカンには譲歩。

 一晩停まって帰って行った。本日は葉山でゴルフとのこと、極楽とんぼ・・・。(これでいいのかな、なるようになるしかないかもしれない)



 入れ替わりにやってきた妹。五時二十分前、タクシーの運転手さんは閉門時刻が迫っているので苦い顔。それを押して市営墓地へ突入。お墓参りを済ませてきた由。持てるだけの手土産、手作りのパン・・・。
 孫の怜佳ちゃん、朱里ちゃんの写真も見せてもらった。久美子ちゃんや洋子ちゃん、新太郎くんも元気な様子。
 健太からもお年玉、妹からも金一封。申し訳ないね、みんなありがとう。


「お父さん、お母さん、清司のところも直に三人目が誕生します。とてつもなく大変な時代もあったけど、未来というものは否応なく拓けてくるもんですね。あなたたちのいる場所から今のわたしたちが見えますか?」

 わたしは、やっと自分を生きる時間が持てるようになりました。

『まなづるとダァリヤ』20。

2015-01-02 05:31:49 | 宮沢賢治
「まあ、あなたの美しいこと。後光は昨日の五倍も大きくなってるわ。」

 美しいはビと読んで、備。
 後光はコウ・コウと読んで、光、講。
 昨日はサク・ジツと読んで、策、実。
 五倍はゴ・バイと読んで、語、媒。
 大きくはタイと読んで、他意。


☆備えた光の講(はなし)の策(計画)は、実は語(ことば)の媒(なかだち)による他意である。

『城』1838。

2015-01-02 05:23:57 | カフカ覚書
それ自体は軽い病気であっても、てあてをしないでおくと、しばしば悪化してしまう例があるものだ。ところで、自分にはいくらか医学の知識がある。それに貴重なことには、実際に病人を診察した経験がある。


☆先祖の軽い受難であってもそのままにしておくと、しばしば困難な改悪になってしまう。自分は先祖の霊媒の壁を知っている。さらにいえば、感情を害するストーリとして知っている。